紫式部が源氏物語の想を練ったと伝えられる石山寺に連なる木立の中に住友活機園はあります。洋館、和館、庭園からなる見事な邸宅は明治後期の代表的建築として重要文化財に指定され、今も住友林業により大切に守られています。大津市の数あるお宝の一つ、一般公開されていますからご覧でない方はぜひお運びいただきたいと存じます。
かつてここに住まいしたのは近江八幡出身の実業家、住友第2代総理事の伊庭貞剛。別子銅山の煙害解決のため社運をかけて精錬所を無人島に移したり、「別子全山を元の青々とした姿にしてこれを大自然に返さなければならない」と採掘跡地の100万本植樹に取り組み、日本初の公害とされる足尾鉱毒事件を告発した田中正造をして「別子銅山はわが国銅山の見本である」と言わしめた人物です。
また銀行を設立したり住友のお家騒動を収めるなど大きな仕事をなしたあと58才で後進に道を譲り、ここで余生を送りました。「活機」とは俗世を離れながら人情の機微に通じるの意だとか。この傑出した実業家には「事業の進歩発展に最も害するものは青年の過失ではなくして老人の跋扈である」との名言があります。「事業」は「社会」「国家」にも通じるでしょう。今の世に跋扈する老人の顔、顔、顔が浮かびます。
この言葉は、伊庭正剛が「実業の日本」誌に寄せた一文「少壮と老成」の中にあります。いわく、老人の力の源泉は経験である。老人は経験という刃物を振り回して青年をおどしつける。しかし戦時の経験と平和時の経験はまったく別だし、時勢は日ごとに進歩、よろず新陳代謝の世の中である。一方、これから経験を積んでいこうとする青年が頼みとするのは敢為の気力である。困難や多少の危険があってもぶち当たって実験してみなければならない青年には、挑戦する気力こそ必要である。
老人の保守と青年の進取はとかく相容れないものだが、両者が衝突してはどんな事業も発展するものではない。その調和を図るために老人は若者の邪魔をしてはならない。老人は注意役、青年は実行役と心得るべきである。また、青年は成功を急いではならない。頭ばかり先へ出ようとすると足元が浮く。あるひとつの目的を確固と握って、一代で叶わなければ二代、三代でもかけて成し遂げる決心をせよ。
ここから私見ですが、経験には大まかに言って「人間関係や状況に関する体験の集積」と「知識や技能の蓄積・習熟」の要素からなり、両者が一体となって時の流れと共に人に古酒の熟成をもたらします。伊庭貞剛はこうした経験の価値を十分に認めたうえでそれを自らの認識において相対化すること、進歩の早い社会情勢を考慮することが肝要だと指摘します。
その後も社会変化のスピードは増すばかり。情報通信技術(ICT)が世の中を動かす今日では経験の価値が大幅に目減りしています。特に2つ目の要素の外部化が進んでむしろ若い人の方が有利な場合が多いくらい。これを進歩と呼ぶべきでしょうが、一方で脳の機能の外部化による弊害も懸念されます(これについては改めて書きます)。
老人の跋扈はダメ、青年の闊歩はよし。私は伊庭貞剛の言に深く賛同するものですが、何事にも例外はあります。浅はかな考えに基づく愚かな行為、人を踏みつけにする利己的な行為、バレなければ何でもありの不法行為については、たとえ行為者が青年だからといって決して許されるものではありません。私はつい大津市前市長を想起するのですが、ブログの現行方針に反しますのでこのあたりで終わります。それにしても昔の人は偉かった!
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