「銀河の微塵と浮かぶ地球。その表皮にひしめくミジンコのような人の群れ。それをたやすく分断し恐慌におとしいれた究極の微塵の毒。新型コロナウイルスなるものが出現し、またたく間に多くの命が失われ、社会のありようが変わりました。それが生命の歴史であり、ヒトの遺伝子の少なからぬ部分が外部由来、すなわち感染の置き土産だと学者は言いますが、歴史はさておき今を生きる私たちは所かまわず降りかかってくる火の粉を払わないわけにいきません。
そして、こうした時こそ社会の安寧と個人の幸福に重大な責任を負う政治が機能し政治家が責務を果たさなければなりませんが、果たして現実はどうでしょうか。五輪延期の迷走、屋形船や豪華客船の怪、マスクの品切れ、パチンコの行列、咳へのまなざし、テレワーク、内定取り消し、雇い止め、倒産、救急室の疲弊、保育所で一人ぼっちの子ども、保健所の不通電話、家庭ごみの山、DVの増加、死者の棒グラフ、7度5分4日の『誤解』、宣言の発出と解除、知事の腕くらべ、気の緩みへの『戒め』、再配達中の『安心』布マスク、来ないヘルパーを待つ人、、、
現在進行中のこれらの問題の多くは、まず政府の責任において早急に解決されるべきであり、その他関連する様々な事象と共に後日しっかり検証される必要があると考えます。同時に、私たちが個人としてどう考え、振舞ったかについても簡単に忘れるわけにはいかない。そのような『コロナ問題』ではないでしょうか。」
以上ながながと引用したのは昨年5月、近しい人と4人でポツリポツリと編んでいる冊子「一微塵」でコロナを取り上げようということになり、友人知人に寄稿を依頼した際の呼びかけ文の冒頭です。それから1年。いま改めて皆さまに同じことを申し上げたくここに載せました。1年の間にこの感染症は「降ってわいた災厄」から「居すわり程度を増し続ける脅威」に変わりました。しかるに政府の対応はどうか。改善されたのは唯一「マスクの品切れ」だけ、ワクチン接種がはじまったとはいえ大きく見て事態は悪化しています。
ここで政府の悪口を言うのが「主たる」目的ではありません。いま私たちが目にしているのは政治家の質の低下のみならぬ政治の貧困であり、社会システムの不適合であり、私たちのありようを含む「公」の危機であり、総じて言えば、命の選別が公然と語られ始めたことが端的に示すように民主主義を標榜する社会の変容です。その全体像にはとても手が届きませんが、昨年来私が感じていることを一つ二つ書きたいと思います。今日はこのあたりで。
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