来年度から高校で新科目「公共」の授業が始まると知りました。教科書は読んでいませんがざっと調べた限りでは「自立した主体としてよりよい社会の形成に参画する私たち」や「持続可能な社会づくりの主体となる私たち」のあるべき姿を模索すること、その過程において「答えを教えることから問いを探させること」にシフトすると説明されています。
公共の新しい姿を追求することが社会的課題であると考える私はこれを歓迎すべきか、はたまた憂うべきなのか、にわかに判断がつきません。新教科の導入を決めた政府の意図は、「自己責任」の十字架を背負う国民の育成であることに間違いありませんが、その意図に反し、教室においては若者の思索の機会になる可能性もなしとしません。公共の教科書ではナチズムと対峙したハンナ・アーレントや天皇制を深く考察した丸山真男も紹介されるのです(学習指導要領は彼らをどのように「料理」するのでしょうか?)。
素人考えですが、教育は教育者の意図と生徒の意思が必ずしも一致しない領域に可能性があるのかもしれません(先生方、どうもすみません)。この問題を正面から論ずる力は私にありませんが、何度かに分けて感想めいたことを書きたいと思います。ことの発端は2006年の教育基本法「改正」です。安倍政治の負の遺産は「戦争OKの憲法解釈」や「税金垂れ流しのオリンピック」ばかりではありません。自民党の議員諸氏はこれをどう見るのか。総裁選で政権与党の自浄機能が多少なりとも働くことを期待するものです。
ところで大津保健所でコロナが発生したとか、佐藤市長から市民に向け丁寧なご説明がありました。職員のみなさんは臍を噛む思いでしょう。しかし現場の最前線にリスクはついてまわります。どうか萎縮することなくこれまで通り業務を継続してくださいますようお願い申し上げます。本日はこれにて失礼いたします。
夏の花が終わろうとしています
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