2022/02/02

164)個人的なこと 3

 詩人金時鐘の言葉について書こうと考えていた朝、新聞の一面でその人の言葉に出会いました。

「終わりは、いつも終わらないうちに終わってしまうのよ。」

 朝日新聞1月28日朝刊、折々のことば(鷲田清一)。鉛筆画家・木下晋との対談「生とは何か」から採られたものです。~裏返していえば、終わりと思っていたものも終わっていないということ。いいかえると人生に終わりはなく、いつまでも「過程」でしかないということ。だから終わりもしょせん「道すがら」でしかないと、詩人は言う。人生を一つの物語に綴じることはできない。だから人生は閉じない。~鷲田清一はこう書いています。

 私は対談「生とは何か」を読んでおらず前後の文脈を知りません。しかし、読む者にそれぞれの実感をともなって人生を振り返らせる言葉であると分かります。これを読んで、自省を深める人も光を見出す人もいるでしょう。言葉の力だと思います。
 そしてまた、これと別に私たちにとって忘れがたい金時鐘さんの言葉があります。

「惜しまなければ 残る何物もこの世にはない」

 2007年に出された「再訳 朝鮮詩集」(岩波書店)の扉にサインをそえ書いて頂きました。

「人は、人の心にあるかぎり生きている」

「記憶される限り 人が死ぬことはない」

 これも時鐘さん。2004年頃、妻とふたりでお宅に伺いあれこれお話した折、穏やかな口調で嚙みしめるように語られました。その後、妻の叔父が亡くなった時にその愛する妻であった叔母に私の妻が書き送ったこの言葉を、今度は私が叔母から贈られました。

 これまで何度かふれてきた金時鐘さんは1929年、元山市で出生。植民統治下の朝鮮で少年期を過ごし、21歳のとき、済州島四・三事件に関わって来日しました。以来「在日」(これは時鐘さんが初めて呈示した概念)の実存を問いながら、かつて日本が朝鮮に押しつけた日本語を武器として、人間、社会、時代を他に類を見ない言葉で表現してきました。その作品にも素顔にもふれ「真っ直ぐで堅い背骨を持った人」であると私は思っています。実際に生身のご本人も背筋が通って姿勢が美しいのです。金時鐘と比べると谷川俊太郎も今やB級商業詩人に過ぎません。

 1945年の解放(日本敗戦)後、朝鮮は米ソにより分割占領され済州島は米国統治下となりました。1948年、米国が南朝鮮の単独総選挙を企図したことに対し国家分断につながると民衆が激しく反発、4月3日に済州島で武装蜂起がおこりました。これが四・三事件の発端ですが、軍や警察、右翼団体による武力鎮圧は凄惨をきわめ、島民の犠牲者は3万人といわれています。時鐘さんも命の危機にさらされ、1949年、島を去ることとなります。一人息子を見送ったご両親は彼の地で亡くなり、海に隔てられた親子の再会は叶いませんでした。

 その後1950年に始まった朝鮮戦争。38度線をはさんで同胞同士による悲惨な戦いが繰り広げられましたが、軍需景気に沸く日本で時鐘さんは仲間と共に反戦運動に身を投じました。 
 時がすぎて1980年の韓国で全斗煥軍政に抗議する大規模な民主化運動(光州事件)が起こり多数の死者が出ました。この出来事が時鐘さんに詩集「光州詩片」(福武書店)を編ませることとなりました。

 東アジアの近現代史の荒波に翻弄され、命がけでそれに抗い、生きのびてきた詩人。その別離と流血の記憶をくぐって金時鐘の言葉はあります。それは人生の哲理であり、さらにゆるぎない決意、深い祈りであると私は思います。

※関係著作
金時鐘:「在日」のはざまで(立風書房)(平凡社)
金石範・金時鐘(対論):なぜ書き続けてきたか なぜ沈黙してきたか(平凡社)









 



  

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