2022/02/18

168)省庁職員研修私案

 「国交省の不正統計」、「公僕」と来て今回のテーマは「省庁の職員研修」です。省庁の職場環境は「公僕精神の維持」という観点から好ましくない、すなわち政治家に近すぎ国民から遠すぎるという私見にもとづくお節介な提案なのですが、もう少し不正事例を見ましょう。そうそうあれもあったという話ばかりです。

 2018年には厚労省の「毎月勤労統計」の不正が発覚しました。この不正は10年以上続けられ、のべ2,000万人分の雇用保険・労災保険の給付額が正規額より530億円過少となる被害が出ました。厚労省はホームページでこの統計への協力を事業者に呼びかけ、同時に不正な情報収集を行う「かたり調査」に注意するよう促していますが笑止千万、泥棒が戸締り用心を説くようなものです。

 2017年は防衛省の「イラク日報問題」。復興支援のため非戦闘地域に派遣された自衛隊がどのような活動を行い、いかなる状況に遭遇したかを証する「日報」は、憲法9条にも関わる重要な公文書です。これを防衛省は「すでに廃棄した」と説明、その後「一部が残っていた」と訂正、ついで「不存在を確認した」と再訂正。さらに存在しないはずの日報の「探索を指示」したら、なんと約400日分、14,000ページにのぼる日報が「発見」されました。そして日報に「宿営地にロケット砲が着弾」、「戦闘の激化」などの文言があり、公表まで数か月かかるというおまけまでつきました。

 この時期は財務省の国有地払下げ不正(森友学園)や文科省の許認可不正(加計学園)が表面化し、その経緯を記録した公文書が廃棄、捏造されていたことも判明しました。その少し前には文科省の天下り不正が発覚、その数は2010年から2016年の間に62件にのぼり、歴代8人の事務次官をふくむ多数の職員が処分を受けました。

 2007年には社会保険庁の「消えた年金記録問題」。毎月せっせと年金の掛け金を納めたにも関わらずその人の氏名が分からないというケースが5,100万件、これは個人の年金給付額の目減りに直結するばかりでなく、公的年金制度の信頼性を揺るがす深刻な問題です。ずさん極まりない事務処理に加え、職員による業務上横領(納付者の名前を抹消してその掛け金を着服)も明らかとなりました。

 これらの不祥事に共通するのは規模の大きさ、行為の組織性・継続性、発覚に際しての事実隠蔽や矮小化の画策などであり、さすがに省庁は行政の中枢だけあって一旦悪い方にぶれると容易に巨悪となることが分かります。ゆえに職員は人一倍の倫理観をもって職務にあたるべきところですが彼らの公僕精神は一体どこへ消えたのか。

 残念ながら国の出先機関や地方自治体にも不祥事はあり、襟を正さなければならないのは公務員全般です。急いで付け加えますが大多数の公務員は公僕の名にふさわしい存在であり、思わず頭が下がるような人々を私も多数見てきました。ですから十把一絡げの議論はよくありません。それにしても不正の多さよ、と言いたくなります。

 さて本題に入ります。霞が関の「省庁」および全国各地の「市役所」と、住民(国民、市民)との距離の比較です。ふらりと入ってきた住民からいきなり怒られたり、時に褒められたり、相談にのって感謝される等といったことは省庁ではおそらく皆無、市役所では日常茶飯事です。この「住民」を「国会議員」に置き換えると話がきれいに逆転します。国会議員は住民の代表だからどちらも一緒と言いたいけれど現実は違います。

 コロナ対応を例にとると全国の感染状況の集約、分析や各種の仕組みづくりは省庁が行い、患者、家族、事業者への直接支援は市役所が担当します。行政機構における両者の役割が異なるためとはいえ省庁は現場から遠くにあります。ひとつの「機関」としてはそれもよしですが、職員にとって「生身の実感」が欠乏することはよくありません。こうした状況が省庁職員の公僕精神の維持を困難にしているのではないか、これが冒頭に述べた問題です。

 問題はもう一つ。上記課題を増幅させる事情として、省庁職員は東大卒が多く偏ったエリート意識をもつ者の割合が多いという点です。いわゆる難関大学とそれ以外の大学の「学生の能力の差」は、煎じ詰めれば記憶力がいいかどうか、計算が早いかどうかの違いにすぎません。テレビのクイズ番組に出るならそれも結構ですが、「頭がよい」ことに基づくエリート意識は、公僕精神とまったく相容れません。そして入省後、これらエリートの多くは熾烈な出世競争を繰り広げつつ権力に接近し、住民から遠ざかっていくように思われます。

 何事にも例外はあると思いつつ断定的な物言いをしました。しかし私は、「公僕」であろうとする若者にとって、省庁の職場環境は地方自治体のそれより厳しい状況にあると思っています。しからば省庁の若手職員に地方自治体での実地研修を施してはどうか、ようやく結論にたどり着きました。省庁の中堅職員が自治体の幹部職員として地方自治体に「降臨」したり、地方自治体の若手職員が省庁の「徒弟」となる事例があります。こうした人事交流は省庁が上、地方が下という暗黙の前提に立っていますがあまりに古臭い感覚です。「公僕精神の維持」の観点からは地方が上、中央が下であると私は思います。

 そこで入省後の新採職員に対し、半年(できれば1年)の市役所や町村役場での実務研修を行う、市町村の職員定数の員数外とし給与は省庁負担とする。どの職場でどんな仕事をさせるかは市町村の判断によることとし、研修生は定期的にレポートを書くほか「卒業」に際しては市町村の「口頭試問」を受ける。「エリート」の目からウロコです。自治体の最前線における生身の体験(喜びも苦労も含めて)は、彼らの公務員人生を照らし続ける松明となるに違いないと私は確信します。叶うならたまに「里帰り」してもよいのです。体を運ぶのが無理なら電話かメールでも。地方の仲間の情報は役に立つことがあるはずです。

 わが国は公務員の数が少ないうえ少子高齢化の構造的課題に加えてコロナがあり、中央も地方も大変です。こんな時に時間を要する人材育成を行うことは困難かもしれません。しかし、それならばいかにして省庁職員の公僕精神の涵養に努めるのか、不祥事の山を前にしてこの点を省庁は真摯に考えるべきだと思います。




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