ウクライナ侵攻は恐怖と嫌悪と落胆です。プーチンという一個人によって歴史の針が逆戻りさせられました。腕力が強く向こう見ずな者のしたい放題ですが、国連安保理の常任理事国も同類のように思われます。ではどうするか。妙案はないものの少なくとも日本はバイデンの顔色ばかり見ず、自前の言葉でロシアを始めアジア、アフリカ、中南米諸国等に平和構築を呼びかけるべきだと思います。平和憲法を持つ国として「力の論理」からの脱却を唱えることが何より肝要。即効性はないにしても他に有効な代案はあるでしょうか?この戦争の背景をなす歴史認識の問題は今回のテーマにも関わります。
朝鮮半島を南北に隔てる北緯38度線。これを東にどこまでも延ばすと日本海をこえて佐渡島を横切り新潟市に達します。新潟はかつて帰国船の出港地であった所。1959年から1984年にかけて93,000人の在日朝鮮人と家族がこの地から北朝鮮に渡りました(朝鮮半島南部の出身者が大半をしめ、配偶者や子どもなど日本国籍保有者は6,800人と言われています)。船に乗ろうと全国から集まった人々は新潟の赤十字センターに4日間滞在して帰国の意思の確認をうけタラップを上りました。
日本での生活が困難に満ちたものであった人々にとって望郷の念はことさら強かったでしょう。また当時、北の共和国は「地上の楽園」であると喧伝され、それを信じた人、信じたいと望んだ人が多数いました。背景には時代の大きな熱量があったと思われます。しかし帰国者が目にしたのは飢える民衆であり、自身もまた資本主義体制に染まった「腐敗分子」と見なされ、多くは苦難の道を歩むこととなりました。
この帰国事業は日本と朝鮮の赤十字社が「人道支援」として行いましたが、その背景に岸信介政権、金日成政権の利己的動機があり、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)が先棒をかつぎました。こうした事情は早くから指摘されていたものの、帰国船は四半世紀にわたって日本海を往復しました。2021年には帰国後に脱北した5人が北朝鮮政府を相手どって日本の法廷に損害賠償を求める訴えを起こしましたがこれは例外的少数でしょう。
私の敬愛する詩人金時鐘がこの帰国事業に強く促され、また舞鶴湾で爆沈された浮島丸の記憶に迫られて長編詩「新潟」を書いたのが1960年のこと、しかし朝鮮総連の圧力をうけて出版は1970年となりました。「新潟」のなかに次の詩行があります。
誰に許されて
帰らねばならない国なのか。
積み出すだけの
岸壁を
しつらえたとおり去るというのは
滞る貨物に
成りはてた
帰国が
ぼくにあるというのか。
もろに
音もなく
積木細工の
城が
崩れる。
切り立つ緯度の崖を
ころげ落ち
平静に
敷きつもる
奈落の日々を
またしてもくねりだすのは
貧毛類のうごめきだ。
この詩集の全体は次の3行で締めくくられています。詩人の想念の世界において果たされようとする「帰国」のイメージです。
茫洋とひろがる海を
一人の男が
歩いている。
書くほどに野暮になりそうです。関心のある方はぜひ詩人の著作をご覧ください。
私は、土地が否応なく帯びることとなる「歴史性」について考えています。新潟しかり佐渡しかり。沖縄、広島、長崎、福島、北海道もそうですが風呂敷を広げすぎると収拾がつきませんのでここは小ぶりに。「佐渡」と聞いてまず私が思い出すのは井上ひさしの戯曲「たいこどんどん」です。若旦那と太鼓持ちの二人連れが江戸から佐渡まで流れてきて路銀稼ぎに思いついたのが草鞋交換。新品の草鞋と取りかえた大量の古草鞋を水洗いして金のかけらを集めひと儲けしたという挿話ですが、砂金の島のイメージが鮮やかです。
ちなみに、三谷幸喜も面白いし悪くないけど結局は軽いね、井上ひさしと言葉の深みがまったく違う、心に残らない、本物と亜流の差だね、と私たちはよく言い合っていました。もはや井上ひさしの新しい芝居を見られないというのは残念です。漱石、鴎外、百閒、龍之介などは昔の人だから別として、大岡正平、丸谷才一、吉行淳之介、開高健、遠藤周作など私が物心がついた時に活躍していた人が彼岸にいるのは淋しいことです。小説家以外では加藤周一、吉田健一、鶴見俊輔もそうです。これらの人々の退場を惜しむのは私が年をとった証拠であり、私自身も此岸から移動しつつあるのかもしれません。
さて本論に戻って、政府は佐渡金山を世界文化遺産に推薦することを決めました。韓国政府は戦時中に朝鮮半島出身者の強制労働があったと反発していますが、日本側はそれより前の16~19世紀、世界の鉱山で機械化が進む中において佐渡が手工業で金を生産した「匠のわざ」が世界遺産にふさわしいと主張しています。しかし、佐渡金山が1989年まで運営されていたこと、国民徴用令で朝鮮半島出身者も狩りだされたことを考慮すると、日本政府の主張は恣意的な歴史の「切り取り」に見えます。
2015年、軍艦島の世界遺産登録の際も日本政府は「朝鮮人強制動員の歴史など全体を伝える」と約束したまま放置し、ユネスコから警告を受けた経緯があります。一方、同じ年に中国が「南京大虐殺の記録」を世界記憶遺産に登録することに日本が反発し、加盟国の反対があればユネスコは登録審査を中止するというルールができました。2016年には韓国、中国などによる「日本軍慰安婦記録物」の登録申請も日本の反対で審査に至りませんでした。
世界遺産の発想はオリンピックと同じ「国別対抗戦」ゆえ歴史認識の食い違いはつきものかも知れません。原爆ドームの認定(核兵器の惨禍を伝える建築物)の際は、逆に中国が反対を唱えました。「日本の一部勢力が原爆被害を免罪符としてアジアへの加害責任を免れようとしかねない」との理由です。当の米国は「戦争終結のために使用した。その前段階で何があったかの歴史認識が問題だ」と主張しました。なんといっても原爆を落とした爆撃機エノラ・ゲイを誇らしげに展示している国です。
韓国には金も払ったし条約も結んだ。慰安婦問題では最終的かつ不可逆的な解決に至った。彼らはいつまで蒸し返すのかと憤る政治家がいます。佐渡金山では安倍晋三、高市早苗氏らが勇ましい発言を繰り返しましたが、その勇気を米国に向けてほしいと思います。朝鮮半島は日本が36年にわたって植民地支配した事実が消えず(原爆投下の米国の罪が消えないのと同じように)、南北分断についても、日本が生地をこね、米ソが真ん中に深々とナイフを入れて2山のパンを焼いたごとし(パンにたとえてすみません)、決してよそ事ではないと考えます。
結局のところ、日本は自国民にも近隣諸国にも多大の死と不幸をもたらした戦争責任の追及を極東軍事裁判にまかせ、自らの問題として真正面から取り組むことがなかったという敗戦後の出発点にもどります(ドイツと比べるとよく分かります)。こちらは忘れても相手は忘れてくれず、何かあれば「蒸し返され」ます。韓国の大統領選の候補者が「加害国の日本こそ2つに分割されるべきであった」と発言しました。とても容認できる話ではありませんが理解の範疇にあります。
ではどうすればよいかは政治家に尋ねたいところです。私としては一つの事実に複数の認識があると心得ること、加害的立場と被害的立場の落差を知ることが重要であると考えます(まるで友人知人とのつきあいのようですが)。より大きくは、身びいきと愛国が違うと知ること、対外関係においても憲法の精神を生かすこと、これらは勇ましい政治家に贈る言葉です。世界遺産には「文化」、「自然」、「複合」の3種類があり、別に「記憶遺産」というカテゴリーもあるようです。「文化遺産」であるローマ帝国の国境線(石の長城)やピラミッド、「記憶遺産」のアンネの日記について書きたかったのですが、長くなったのでまたの機会にします。
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