2022/03/11

171)判決まえに(訴訟の中身の再確認)

 越直美前大津市長(以下「コ氏」と略記)による公文書隠蔽・改ざんをめぐる訴訟が近く判決日を迎えます。国家賠償請求訴訟(20181月提訴)および公文書部分公開決定処分取消訴訟(20199月提訴)の2つです。きたる317日(木)1310分、大津地裁において判決が出されます。

すでに申し上げたとおりコ氏個人は論ずるに値しませんが、この人物が公人としてなした行為は論ずる価値があります。「公の棄損」を検証することは「公の維持」に資すると考えますゆえ。これは10年ごしの案件ですから、判決を前に改めて訴訟の中身を確認します。私が副市長であった2年間(20126月~20145月)の体験は陳述書(記事8586)に書きました。今回の記事は過去の出来事を時系列で並べるだけですがそれでもかなりの分量です。

<国家賠償請求訴訟>

 2012年のこと、大津市職員であったA氏は、同市職員B氏を強制わいせつ罪で刑事告訴しました。Bは告訴事由を全面否定したものの、警察の家宅捜査をはじめ1週間の取り調べを受けました。Aは、解放され職場にもどったBの退職を人事課に要求する一方、Bに対して内容証明付きの謝罪要求文書を職場あて送付します。

20132月、Bの退職を求める差出人不明の「怪文書」が市長や議会に配布されます。
3月には、Aおよびその父(大津市職員)が右翼団体幹部ら複数の部外者とともに人事課に押しかけ、Aの希望先への人事異動とBの退職を求めました。机をたたく、怒鳴りつけるなど暴力的な要求を行った後、彼らはBのところに行き、「目の前で辞表を書け」、「今度は家に行ったる」、「街宣車を回す」と脅しました。不当要求を担当する「統括調整官」が駆けつけ何とかその場を収めましたが、エスカレートするAの行動を危惧したB4月、Aを「虚偽告訴罪」で告訴しました。AとBが告訴し合う状況となり大津地方検察庁とコ氏が動きます。

大津地検はBに対し、Aと和解し告訴を取り下げるよう求めました。コ氏も担当検事と面談しつつ副市長(茂呂)を通じて、Bに対し同様の指示を繰り返しました。Bはこれに応じず、201310月に起訴され刑事裁判が始まります。そこでBは、市が保有する「怪文書」やA親子の「不当要求記録」など重要な証拠文書の提示を求めましたが市はこれを拒否。Bと代理人弁護士は、弁護士法に基づく弁護士会照会、公文書公開請求、裁判所からの公務所照会、保有個人情報開示請求と手段をつくして証拠文書の提供を求めました。しかし市(人事課)はコ氏の指示どおり全ての公開を拒否しました。

さらに市は、京都弁護士会からの抗議を無視、保有個人情報不開示に対するBの異議申し立ては1年間放置する(情報公開・個人情報審査会に諮問せず、諮問通知も行わない)など条例違反を重ねました。その後ようやく開かれた審査会でも「文書はそもそも存在しない」と主張し、裁判でも同じ主張を繰り返します。しかし、原告側は限られた証拠をもとに立証を行い、201410月、Bに無罪判決が言い渡されました。「今日の天気のように晴ればれとした気持ちで帰宅しご家族に報告してください」とはその際に裁判長が原告にかけた言葉です。

 2015年4月、Bは、大津市に公文書非公開決定処分の取消を求めて提訴、大津地裁はこれを認め、20163月にBが勝訴します。しかし市は控訴、同年9月の大阪高裁で再びBが勝利します。さらに市は最高裁に上告しましたが(公文書公開問題ではまことに異例)、20172月、最高裁はこれを棄却、上告審不受理の決定を行い、大津市の処分の違法性が確定しました。

ところが市は最高裁決定を無視し、すでに公開済の文書のみ再度公開することでお茶をにごしただけ。「怪文書」や「不当要求の記録」その他の文書は「存在しない」として、またも非公開決定を行いました。Bはやむを得ず審査請求を行った後、20181月に大津市を相手どって「国家賠償請求訴訟」を提起しました。これが本件です。

この訴訟で証拠文書が次々と明らかになり、元副市長(茂呂)、元人事課長らの証人尋問も行われました。さらに2020年1月のコ氏退任後に新市長のもとで行われた内部調査の結果、歴代の関係職員から「存在しないはずの文書」があるという証言が続々と出てきました。そして「存在しないはずの文書」の写しをコ氏自身も保有し、最高裁の判決確定後にそれを廃棄するよう部下に指示していたことも明らかになりました。

大津地裁はこれを重視し、202110月についにコ氏の証人尋問が実現します。その場でコ氏は、「知らない」、「覚えていない」、「人事課がしたことなので私は関係ない」と繰り返すばかり。しかしこの裁判を通じて市が「存在しない」と主張してきた文書が「すべて存在する」ことが明らかになり、コ氏もそれを知っていたという事実が明らかになりました。

いま一度、コ氏体制下における大津市の不当行為を列挙します。
・文書が存在することを知りながら虚偽の説明を続けて非公開を繰り返したこと
刑事裁判前のコ氏からBへの不当な圧力
保有個人情報異議申立等に対する度重なる条例違反
・刑事事件の無罪確定後も審査会文書等でBを「加害者」と表記し犯罪者扱いしたこと
・201812月の京都新聞記事「大津市が職員による不当要求隠ぺいか?」に対する記者会見や議会説明の場で既に無罪が確定しているBが犯罪行為を行ったかのように説明したこと
・保有個人情報開示請求に係る決裁文書の改ざん
・最高裁で判決確定後の決定を不当に遅延させたこと
・不当な決定により審査請求の機会を奪う違法な教示をしたこと等々

 当初は大津市の主張を信用していた審査会もこうした経緯が明らかになるにつれて認識を改め、市が「保有していないと主張していた文書を実際は保有していた」事実を認定し、市が故意に隠ぺいした可能性を厳しく指摘しました。指摘どおりコ氏時代の市の行為の大半は故意によるものですが、国賠訴訟の場合は単なる過失と判定されれば損害賠償は認められません。
「故意」か「過失」か。大津地裁はどう認定するでしょうか。またコ氏が市長として総体的な指示を行ったかどうかの判断についても注目されるところです。
 
<公文書部分公開決定処分取消訴訟>

前記の通り大津市は最高裁決定を無視して公文書の隠ぺいを続けたため、Bは、20176月に審査請求を行い、20196月に審査会の答申が出されました。審査会は、市が文書を「作成、保有していない」との虚偽説明を繰り返し、裁判の中で証拠が明らかになるにつれ、「作成したが廃棄した」と主張を変えたことに対し、審査会の調査を妨害したと厳しく批判するとともに、大津市がメモと位置づけて廃棄した文書は、「本来10年保存が適当である」と指摘しました。市がウソをついたこと、公文書を廃棄したことを咎めたわけです。

 また、審査会は、市の説明どおり文書を「作成し、後に廃棄した」のが事実なら、その時期と経緯を明確に示すよう求めましたが市はこれを無視しました。本件の裁判は、市が最高裁後に行った処分、すなわち「すでに公開されている文書のみを部分公開し、他に存在する文書を非公開とした『部分公開』の決定」を取り消すこと、および、市が審査会の答申を無視して「部分公開決定」を行ったことが不当であるとし、その処分の取消しを求めたものです。

繰り返しますが「存在しないはずの文書」はコ氏がコピーを保有していたことからも明らかなように「存在していた」ことがこの訴訟で確認されています。
ここまで事実を並べてきましたが最後に私も一言いわずにいられません。法廷でも証言したとおり、これらの文書は、私も元人事課長らから説明をうけコピーを受けとり、自分でファイルして執務室で保管していました(もちろん在任中の話)。コ氏がファイルを持っていたのも当たり前です。コ氏体制下の大津市(人事課)は、裁判所、審査会、自分の身を守るため公開請求を行ったB氏、ひいてはすべての市民に対し真っ赤なウソをついたのです。これに関しては後日続けます。

さて、この訴訟「公文書部分公開決定処分取消訴訟」は、前記の「国家賠償訴訟」と深く関連するため、二つの訴訟が一体的に審理され、3月17日に判決されるものです。

 


 

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