2022/03/21

173)判決の評価

 さる3月17日、大津市を被告とする国家賠償請求訴訟および公文書部分公開決定処分取消訴訟の判決がありました。国賠訴訟の判決日は、もとは2020年2月の予定でしたが同年3月に延期となり、その後、大津市長の交代により新たな証拠が出てくる可能性も考慮して再延期され、この日の判決となったものです。この裁判ひとつをとっても訴訟提起から判決まで実に4年、本当に時間がかかるものだと感じます。

 この判決は、当日のNHKニュース、BBCニュースをはじめ翌日の各紙朝刊で報道されたのでご覧になった方も多いと思います。一言でいえば前回記事のとおり「コ氏敗訴」ですが、その後、原告弁護団から色々と専門的な話を伺ったうえ判決文を読み直し、私なりに理解が深まったので、それらについて感想も交えつつ記述します。
 
 当日は、まず「公文書部分公開決定処分取消訴訟(20199月提訴)」の判決が言い渡されました。以下のとおりです。
(1)大津市長が原告に対してした2017年6月23日付け公文書公開決定及び2019年8月1日付け裁決のうち、原告の2013年12月17日付け公文書公開請求における文書2に相当する被告の人事課及び市長室に保有するファイルを不存在とし、非公開とした部分を取り消す。 
 2)原告のその余の請求をいずれも棄却する。(※判決文の和暦は西暦に変えました)
 
 大津市は、公文書公開請求を受けた職員A親子の不当要求関係の記録について、「公文書の原本がすでに廃棄されて存在しないため非公開決定処分した」と主張してきました。そもそも市においてこのようなことはあり得ません。判決では、当該人事課長が引継ぎしてきたファイルと越市長が秘書課職員に廃棄を指示したファイルの中にその公文書の写しが保存されており、市の非公開決定処分時にその写しが確かに存在していたと認定しました。

そして、仮に公文書の原本が存在していなくても、その写しに「組織共用性」があったと認め、「市が、人事課ファイルおよび越市長が秘書課に廃棄を指示したファイルを不存在としたことは違法である」と断じて部分公開決定を取り消すと判決したものです。
 存在しないはずの公文書が実は存在していたことが裁判を通して明らかになったわけですから、「公文書は存在しない」という虚偽の理由に基づく市の非公開決定が違法であることは当然のように思います。

 しかし、裁判の中で市が、「その公文書を廃棄して原本がなく、写しだけが存在しているだけであるからそもそも公開対象にはならない」と主張したため、残されている写しに「組織共用性」があり、したがって公開対象となるか?というのが新たな争点となりました。情報公開条例などでは、原本でなければ公開しないなどと定めた条文はありません。
市長が公文書の写しをファイルにして手元に保存するほど重要な文書の原本を職員が廃棄するということ自体がそもそもありえず、このような争点は例がないはず。この点について大津地裁が、「たとえ写しであっても原本がない以上、組織共用性がある」と明快に認定されたことは判例としても大変重要であると思います。

また、この判決を通して「公」の観点から見落とせない2つの点があります。
 1つは、市が、存在する公文書を「存在しない」と偽って非公開決定したことです。
圧倒的な情報を保有する行政が、市民に公開したくない公文書を「存在しない」とごまかして非公開とすることが許されるなら行政の透明性が損なわれるばかりでなく、恣意的な政策決定に直結します。このケースはまさにそれです。市政情報は市民のものであり、市の務めはその適正管理にとどまります。

 2つ目は、きわめて重要な公文書を元人事課長が「単なるメモ」として廃棄したことです。
裁判において、「存在しない」公文書が「実は存在している」ことが明らかになったため、市は「もともと存在しない」から「廃棄したので存在しない」と説明を変えました。これもアウトです。裁判で虚偽の主張をしたこと及び公開したくない文書を「廃棄した」こと。公務員がこんなことをしてよいのでしょうか。これでは行政の信頼は地に落ちます。
 今回の判決で「たとえ原本が廃棄されても、その写しには『組織共用性』が認められるため公開すべきである」とされたことにより、最後の一線は辛うじて守られた感があります。

 当初、大津市が非公開決定処分(2014年1月)を行ったことに対する原告からの異議申立に対し、人事課だけでなく関係する各所属も同じように「存在しない」と審査会に回答しました。いま記録を見ると審査会への回答は2014年5月のことです。私の副市長退任がその月の末でしたから当時はまだ「現役」でした。ところがこの件について私は何の相談も報告も受けていません。審査会への虚偽説明は、課長や部長で決められる話ではありません。私が知らなかったということは、私の上位、すなわち越市長から審査会に虚偽回答するよう指示が出されたとしか考えられません。

ところで重要な公文書を不法に廃棄した元人事課長は何ら処分されることがありませんでした。職員の処分にきわめて熱心であった越市長が元人事課長を不問に付したばかりか、その後自らの後継者として指名したことは何を意味するのでしょうか。これも不思議な話です。

また、これは国賠訴訟の評価になりますが、「越市長の指示」と「意図的に公文書隠ぺい」が認められなかったのは今回の判決の残念なところです。越市長の至近距離でその実態を見てきた私の証言をはじめ、これだけの証拠(驚くほど詳細、膨大な証拠です)があっても、それが判決で認定されないというのが国賠訴訟の壁であると思われます。越市長が直接指示したときの録音でもなければ立証できないということかもしれません。
 
続いて、「国家賠償請求訴訟(20181月提訴)」の判決は
(1) 被告は、原告に対し、33万円の及びこれに対する2018年2月18日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。 
(2) 原告のその余の請求をいずれも棄却する。 
というものでした。

この判決において、大津市の以下の3つの行為が違法であると認定されました。
 
①大津市が審査会に虚偽の説明をしたこと。
 市が、原告からの公文書公開決定請求に対して非公開決定処分をし、原告からの異議申立に対して「文書は存在しない」と情報公開・個人情報保護審査会で説明しました。前述のとおり少なくとも写しが存在していたことは間違いなく、仮に原本が存在しないというのであれば、その写しが組織共用文書となることは比較的容易に判断できるのであるから、存在しないと審査会に回答して、その存在を明らかにしない対応をしたことは、適切な公文書の管理を怠り、その公開請求者の権利を尊重、保護しなかったという点において国賠法上の違法性を基礎づける過失があったというものです。
 
②大津市が、審査会への説明書等で、無罪判決後も原告を加害者扱いしたこと。
 無罪の判決を受けた経緯に照らすと、職員が加害者と自認するとは考え難いこと、これらの事情は、容易に把握できたことからすれば、原告を加害者と呼ぶ合理的な理由はなく、原告の名誉や名誉感情を毀損する表現である。かかる表現をしなければいけなかった必然性も事情もない。これらの事情からすれば、市長等は注意義務を怠り、原告の名誉や名誉感情を毀損する違法行為をしたと認める、というものです。
 
③市長らが原告に対し、不当に和解強要をしたこと
 原告は、Aの告訴内容が事実ではないと主張し、和解の意思がないことが明らかであったのに、多数回にわたる示談の促しは社会的相当性を超えて、原告の権利を制約する行為として違法である、というものです。
 
 ①については、「公文書部分公開決定処分取消訴訟」で書いたことと重なりますが、要するに、大津市は審査会にウソをついたということが認定されたということです。
 
 ②は、通常よりも違法認定のハードルが高い国賠訴訟で認められるのは、極めて異例なことです。当時の越市長および大津市の対応がいかに悪質であったかということが認定されたということです。
 
 ③の「市長ら」というのは「市長越直美および副市長茂呂治」ということです。
この2人が不当な和解強要を行ったと認定したもので、ストレートにパワハラであるとした点では画期的な判決です。他人事のように書いていますがもちろん責任は私にもあり、それは前回記事に書きました。しかし、越市長の強い意向によって行われたことですから、大津市の行為ではなく、越市長がその権限を濫用して国賠法上の違法行為を行ったことが認定されたと言えます。それを阻止できず、越市長の違法行為の片棒を担いだことが私自身の落ち度です。

 判決で、越市長が副市長を通じて示談を促した回数を「6,7回」と認定していますが、原告代理人弁護士によるとこれは実に興味深い事実認定であるといいます。なぜなら、越市長は証人尋問において、示談を促したことは複数回あったことは認めましたが、「6,7回っていうのはちょっと多いなという気がしますけれども」と述べ、「それよりも少ない回数であった」と証言しているからです。

 これは、裁判所が、副市長茂呂の証言(6,7回)を信用できると判断し、越市長の証言(もっと少ない回数)は信用できないと判断したことを意味しています。また、越市長は「示談の強要」など一切行っていない、あくまで「検察官から聞かれたことを原告に伝えて示談意思の有無を確認しただけ」と主張しましたが、裁判所は「促し」があったと認定しました。これも、裁判所が越証言を信用できないと判断したわけです。
ちなみに、越市長の和解指示は「強要」でした。私がいうのですから間違いはありません。裁判所はそれを「促し」と婉曲に表現したことに興味を覚えました。

 さて、「越証言は信用できない」という裁判所の判断は私からみれば当然ですが、そこまでの判断をしたのであれば、やはり越市長による「意図的な情報公開の阻止」を認定してもらいたかったと思います。コ氏は新聞各紙で「公文書の隠ぺい及び市長からの指示がなかった点は適正な判決である」とコメントしていましたが、裁判所は、判決文において「公文書の隠ぺいと越市長からの指示」については「認定を避けただけ」であり、「公文書の隠ぺいと越市長からの指示がなかったという認定」をしたわけではありませんので、この点を強調しておきたいと思います。

 和解の強要についてコ氏は「判決は不当である」とコメントしていますが、私ばかりでなく、当時のこと(コ氏と担当検事の面談や和解の強要など)をよく知る警察OBで統括調整監の職にあった人も、コ氏コメントを痛烈に批判しています。ところでコ氏は、原告が無罪判決を受けて復職して以降、声ひとつかけることなく市長を辞めました。あまりに遅きに失したとはいえ、司法の判断が示されたことを契機に、原告と向き合ってきちんと謝罪をすべきであると私は思います。
 
 また国賠訴訟上の損害賠償は認められませんでしたが、大津市が原告に対し行ってきた数々の違法行為、条例違反(異議申立に対する審査会諮問の引き延ばし、同じく諮問通知の不履行、誤った教示など)等については、決して裁判所はこれを良しとしたわけではなく、項目によって、市長、及び職員の過失を認めており、「不適切な対応というほかない」と指摘している項目もあります。市は、国賠訴訟上の損害賠償が認められなかったことに安堵するのではなく、判決の文言を嚙みしめるべきであると思います。

 最近の大津市では、事務処理ミスがあると速やかに公表し、同時にその事例を職員に周知していると聞きました。とても良いことだと思います。今回の判決において「国賠法からみても違法である」と認められた条例違反等についても、「事務処理上のミス」というレベルを超えています。これこそ共有すべき「教材」です。ほとんどの職員は、この一連の事件でどのような非違行為が行われたかご存じないでしょう。これらについて市の内部で検証し今後に生かされることを期待しています。
 
 今回の判決についての全体の評価です。
原告側の主張は、「大津市が恣意的に公文書を公開しなかったことは越市長の指示による組織的な隠ぺいである。司法によりそれを糺して、虚偽説明を繰り返す市の隠ぺい体質を変える。」というものでした。私は、「原告の味方」というより、口幅ったいけれど「公の味方」です。自分の見聞きしたことを包み隠さずありのままに証言し、またブログにも書いてきました。もし大津市が正しければ私は市側の証人になっていたはずです。

こうしたことから、今回の判決において、越市長の指示によって大津市が故意に公文書を隠ぺいしたという事実認定にまで至らなかった点は非常に残念です。しかし、国賠法上の違法というハードルを超えて、大津市が審査会に虚偽の説明をしたこと、原告を無罪判決後も加害者扱いしたこと、越市長らによる原告への不当な和解の強要をしたことが違法行為と認められたのは画期的であり、先例となる判決であると考えます。
原告、ご家族、代理人弁護士にとって長い10年だったと思いますが、希望を失うことなく粘り強く戦ってこられたことに敬意を表します。真実が勝ちました。
 
 「大津市の反省点」は次回に書きます。






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