2022/03/25

174)大津市と越直美氏が反省すべきこと

 これまでシリーズで大津市公文書隠ぺい訴訟を取り上げました。「訴訟の中身の再確認」、「コ氏敗訴!」、「判決の評価」の3つの記事です。これらを踏まえて今回は「大津市と越直美氏が反省すべきこと」について考え一区切りにしたいと思います。時系列や事項別の細かな評価は行わず(以前の記事で試行ずみ)、より大きな観点から出来事をふり返り今後に生かすべき点を探ります。

 ちなみに「大津市公文書隠ぺい訴訟」は私のネーミングです。公開すべき情報を非公開としたこと、公文書が存在しないと虚偽を申し立てたこと、保存管理すべき公文書をこっそり改ざん・廃棄したことをひっくるめ「公文書隠ぺい」としています。公文書は役所内の堅苦しい無味乾燥な書類ではありません。公文書は「政策形成過程の生き証人」、「まちのカルテ」、「職員の勤務報告」であり更に言うなら「公務員の魂」です。これを足蹴にして踏みつけたのが越市長です。

 以下、反省点を3つ書きますが、越市政という特殊な状況下で起きたことゆえ、コ氏は別として他人に反省を迫る意図はまったくありません。
 
 反省その1(未然防止ができなかったこと)

 ① 越直美氏の政治姿勢
 「私の市政に文句があるなら次の選挙で落とせばいいのです」
 こう言い放った越直美市長。市政運営に意見をのべた私に対する返答です。いあわせたもう一人の副市長は「市長としての決意表明」と肯定的に受け止め、私は「これはもうアカン」と思いました。この発言は、「選挙で選ばれた以上4年間は好き勝手にやる。将来の大津のまちに禍根が残っても知らない。なぜなら落選の裁きを受けることで実質的に責任をとるわけだから。」という意味です。「市長のイス」と「都市の運命」を天秤にかけるのは市場原理に毒された不遜な発想ですがこの発言はその後も何度か聞きました。

 端的な例をあげます。記事65(まちづくりの課題~庁舎整備)をご覧ください。大津市は、本庁舎の老朽化が著しく耐震性能も極めて低いことから検討を重ね、費用対効果に優れる「現地建て替え」の方向で進んでいました。そして目片市長の時代に庁舎整備基金の積み立てを開始、先行させた学校や園の耐震化も一段落、いよいよ庁舎整備の具体的検討となりました。財源は、志賀町との合併(2006年)による合併特例債(庁舎建設費概算180億円の7割強を国が負担、残額は25年返済という夢のようにありがたいローン)の利用を想定していました。いや想定というより重い財政負担を考えると他に方法がありません。

 ただし、この特例債の適用条件は2020年度内に建物が完成していること。逆算すると遅くとも2015年ごろまでに庁舎整備方針を決定し事業をスタートさせなければなりません。2012年1月に就任した越市長にとって市政1期目の重要課題です。しかし同氏はこれを放置しました。市長によって政策が異なることがあっても状況判断を誤ることは許されません。越市長は、千載一遇の合併特例債を見送り庁舎整備の実現可能性をほぼゼロにする道を選択しました(隣接国有地の防災課題は対応可能であったはず)。大規模地震により本庁舎に大きな被害が出たら責任は誰がとるのでしょう。これは禍根です。市長を辞めればお終いではありません。

 かように「公」をわきまえない越市長のもとで公文書隠ぺい事件が起きたのは、むしろ自然です。そして、初期の段階で「未然防止」や「拡大防止」に努めるのが副市長の役割ですが、それができなかったのは私の責任です。言い訳めくのですが、副市長が市長に意見具申するには市長の信頼が必要である、越市長の信頼を得るには従順でなければならない、従順にふるまえば意見具申ができない、こうしたジレンマがありました。これは既に信頼関係が破綻していたことを意味しますが、いずれにせよ市長からの信頼と権限付与がなければ副市長は務まりません。ほかの重要案件でも同様のことが重なり私は退任せざるを得ませんでした。その後の副市長の対応は不明につき論評を控えます。
  
 ② 懐刀の重用
 裁判で違法もしくは不適切とされた大半の行為は越市長と元人事課長だけで行われました。私が二人の密談現場を押さえたわけではありませんが事実経過と多数の証拠がこれを雄弁に物語っています。この見方を否定する人は市役所に一人もいないでしょう。この結果、当時まだ主幹であった元人事課長の動向を上司である課長や部長も把握できず、周囲が知らないうちに事態が進行しました。意図された隠密行動により未然防止が一層困難となったわけです。

 ところで彼らに違法性の認識はなかったのか。今回の判決を見てビックリしたのか。もちろんそんなことはありません。そもそもこれは、人事課、総務部、副市長とも情報公開が妥当との認識で一致していた案件です。元人事課長(当時主幹)も最初は「公文書を公開してよろしいか」という起案を作成しました。それが越市長に否定され、次に「個人情報を開示してよろしいか」という切り口から伺いをたてました。これさえ認めなかった越市長と私のやりとりは陳述書にも書いたとおり。その後、市長と元人事課長の考えが「急接近」しましたが、この経緯からも明らかなように彼らは法令に反すると分かっていたはずです。

 こうした大津市の決定に対し京都市弁護士会からの厳重抗議があり、地裁・高裁・最高裁からも明確な「アウト判定」が出されました。越市長はいやしくも弁護士資格を有する法律の専門家です。遵法精神がなくても自分の行為が法令に照らしてマルかバツかの合理的判断は十分できます。さらにその後の国賠訴訟等の経緯をみれば、大津市の主張に無理があるのは誰にだって分かります。要するに、越市長と元人事課長は悪いと知りつつ不法行為を重ねたのだとしか言いようがありません。その行きつく先が「市政の継承」という悪夢でした。

 話を懐刀に戻します。市長は職員の誰にでも命令できるわけですから、こうした人の使い方を一概に非難するものではありません。しかし、通常の指揮命令系統によらず特定の職員を重用することについてトップは慎重でなければなりません。懐刀は本来は外部に対して用いるもので、これを内向きに使えば、行政の透明性が損なわれるばかりでなく組織に亀裂が入ります。公務集団の力をそぐこととなります。

 ついでながら、元人事課長は仕事熱心で有能な人でしたが懐刀となって道をそれました。この人は、従順にふるまうことで市長の信頼を得て、そのパワーを自分がやりたい仕事に生かそうと目論んでいたと想像します。市長選に出た時も、越市長の後継者であると訴えて票を集め、当選の暁には越市長よりずっと良い市政をしようと思っていたはず。言うなれば越市政を否定するために越市長の応援を受けたわけです。「目的のために手段を選ばない」とはこうした行為をさすのだと思います。

 前にも書きましたが、手段は目的に奉仕する、手段に奉仕される目的はより高次の目的に奉仕する手段となる、この連鎖をみると手段は目的と等価といってよい、とくに行政において手段を軽視してはならない、これが私の長い公務員人生の実感です。元人事課長とその取り巻きは手段を軽視する思考の持ち主であり、これが彼らとコ氏の悪しき共通点であると考えます。越市長と元人事課長の二人三脚は必然であったのかもしれません。

 反省その2(軌道修正ができなかったこと)

 これは私が辞めてから越市政が終わるまでの6年近くにわたり違法、不適切な行為が継続され、もしくは放置されたことの理由を考えようとするものです。私の体験によらず裁判の経過などに基いていますが、大筋のところで「反省その1」の延長線上にあったと考えます。

 後任の副市長等は、本件が「市長専属案件」として進行しているところに「途中参加」したようなもの、まして越市長は弁護士資格があるので自分たちが口をはさむ余地がないと考えたことでしょう。正論を述べても事態を改善できず、結局は辞任せざるを得なくなった茂呂の轍を踏むことは避けたいとの思いもあったでしょう。辞めてしまえば何の働きもできなくなるわけですからその判断にも一理あります。
 
 また、本件は各種データを揃え複数案につき協議するような「計画策定」や「施設整備」と違い「公文書を公開するかしないか」の二択問題であったため、関係者には「トップの意向次第」という意識が強かったと思います。本来は公文書の適正管理と知る権利の保障に関わる重要案件であったにも関わらず、こうした事情により本件が組織的な検討に付されることはなかったと思われます。

 しかし、市の訴訟担当課は証拠書類を読み込んだうえ毎回の公判を傍聴しており、真実に最も近い立場にいます。そして公判後は顧問弁護士同席のうえ市長への報告を行っています。その場で「さすがにこれは大津市が悪いのではないか」という疑問の声が出なかったのでしょうか。また顧問弁護士は、法を守れという助言をされなかったのでしょうか。それらを踏まえた検討、協議は行われなかったのでしょうか。
 あえて疑問形で書きましたが出席者全員が「言っても無駄だ」と思っていたはず、相手が越市長ではそれも無理はありません。担当課の人々は協議のたびに踏み絵を踏まされ、さぞ苦しかったことでしょう。そこは重々承知の上で「しかし、こんな場合にどうするか」と自問するのが残された課題です。

 こうした状況の中、大津市労連の動きが目を引きました。市労連は早くからこの裁判に注目し、自由で客観的な視点から職員に情報を伝えてきました。越市政のもとでも言うべきことは言ったと思います。かくして「労連ニュース」は職員に本件を知らしめる唯一の回路となりました。私は辞めて久しく組合の現状を知りませんが、市労連が本件を「公の危機」と捉えて警鐘を鳴らしたことを高く評価します。このように市の内部で自浄作用が働いたことを有難く嬉しく思っています。

 反省その3(今後に生かすべきこと)

 本件から直接的に導き出される教訓は、「公文書は法令に基づき保存、開示すべきこと」、「パワハラをしてはならないこと」、「そのほか何事も法令に基づいて仕事をすべきこと」です。当然すぎるこれら3項目が図らずも越市政の嘆かわしい実態を物語っています。

 二次的に考えるべき課題として、「もし市長に非違行為があった場合、いかにしてそれを是正するか」という難問があります。しかし、これは今の大津市役所を含め通常の自治体ではありえない設問でしょう。もう少し一般化するなら、「上司の判断が『公』に反する、あるいは市民の利益を損なう」と判断した時に部下はどのように行動すればよいか、ということです。これまた真摯に話せば理解を得られるのが普通です。そのため上に立つ人が聞く耳をもつこと、職場に民主的な空気が漂っていることが重要であると考えます。

 今回の判決を受け大津市が控訴するかどうか知りませんが、裁かれたのは越市政であること、市にとって守るべき正義がないことを考えると結論は自明であると思います。この上は、大津市において「公文書隠ぺい事件」を総括し、今後に生かされるよう期待をするものです。
 なお、本件原告は「市の違法、不適切な行為の被害者」であり、「市への反逆者」ではないことに異論を唱える人はいないはずです。ほかの職員と分け隔てなく処遇されていると思いつつ、一言申し上げる次第です。

 越市長が3期目に出馬しなかったのは、8年にわたり自分が無理を重ねてきたことへの自覚が影響したものと私は考えています(本人の説明は違います)。「重ねた無理」は数々あれど公文書隠ぺい事件がその最たるものの一つであったと思います。今回の訴訟にはこのような副次的な意義があり原告は市政刷新の「功労者」である、というのが私の意見です。本ブログもコ氏が自らを振り返る契機であったならばよいけれど、さあこの点はどうでしょうか。

 最後に、まことに余計なお世話ですが、反省ついでに「大津市民憲章」にならって「大津市職員憲章」を作りました。ご笑覧ください。

<大津市職員憲章>
わたしたち大津市職員は、
(わたしたち大津市民は、)

1、公務を愛しみんなの英知をいかしましょう
 (郷土を愛し琵琶湖の美しさをいかしましょう)
 ※みんなの英知とは多数決や平均値ではなく開かれた討議をさします。それが「公」の担保につながると思います。

1、法律と条例をまもりましょう
 (豊かな文化財をまもりましょう)
 ※この恥ずかしい項目が近いうち不要になることを期待します。

1、時代を超える眼をそだてましょう
 (時代にふさわしい風習をそだてましょう)
 ※道徳とは何十年、何百年という長いスパンの中にわが身を置いて、自分がなすべきことを考えるという「思考的習慣」のことである、という内田樹氏の意見を踏まえました。環境、教育、福祉、防災等々地方自治のテーマは「長尺もの」です。公務員には、「自分の任期だけ」、「自分の定年まで」というスパンをはるかに超える視力が必要だと思います。

1、健全であかるい職場づくりにつとめましょう
 (健康であかるい生活につとめましょう)
 ※越流の隠ぺい体質からの脱却です。

1、あたたかい気持ちで下の人を遇しましょう
 (あたたかい気持ちで旅の人をむかえましょう)
 ※あたたかい気持ちとは主観に客観を交えて相対化することです。仕事熱心で意見をまげない上司はパワハラ予備軍。目の前のひとりの人が「かけがえのない存在」であると知る力こそ上司ばかりでなくすべての市職員に求められています(エラそうにすみません)。

 これで大津市公文書隠ぺい訴訟に関する記事を終了します。この4回だけでなく過去に何度も本件を取りあげました。ふりかえって「公」のテーマを大きくそれることはなかったと思いますが、それにしても長い裁判でした。








 

 

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