~ 介護をしない男を人間と呼ばない。介護は人間しかしない、他の動物は決してしない営みです。ですから介護することは人間の証明です。性別役割分業のもとに育てられた男性は、具体的な介護の仕事に戸惑い、悩むことが多いでしょう。しかし一方で男性には長年にわたって築き上げた社会的スキルがあります。孤立していてはその力を発揮できませんが、まとまれば社会を動かせます。(中略)男性諸兄、介護の世界にようこそ! 真人間の世界にウェルカム! ~
これは、2009年3月、樋口恵子氏(高齢社会をよくする女性の会理事長)が、「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」の発足によせた応援メッセージの一部。同ネットワークの事務局長をつとめる津止正敏氏(立命館大学産業社会学部教授)の著書「男が介護する」(中公新書)から転載しました。男をすこし持ち上げ励ましながらバチンと正論をぶつけており、男の私が読んでも気分爽快で、依存とケアの「正義」を論じるエヴァ・キテイの主張と深く通じるものがあります。
ついでながら、私は元来、男だ女だという意識があまりなく、まずは「人間」だろうと思っています。早くに父を亡くし母の「女手ひとつ」で育ててもらった「恩恵」かも知れません。
さて、いまや介護は完全に私の生活の中心となりましたが、まだ「介護歴」は5か月ですから何かを語れるほどの中身がありません。それにしても人の介護の話が身に染みるようになりました。ああそうだ、わかるわかる、という感じです。「男が介護する」という本もそのように読みました。著者は、かつて実母の介護問題に悩み、ゼミのフィールドワークとして地域の男性介護者の聞き取り調査を行い、各地の男性介護者のコミュニティ(会や集い)のネットワーク化に尽力してきた人です。今回はこの本をネタにさせて頂くこととし、以下に「はじめに」から抜粋して引用します。
~ 「女性介護者」とあえて呼ばないように長く介護を支えてたのは女性だが、近年では介護する夫や息子などの実数は100万人を超え、男性が主たる介護者の3人に1人を占めるに至った。ワーク・ライフ・バランスや男女共同参画の観点から歓迎すべきだが、一方で介護心中や虐待などの不幸な事件は増加しており、加害者の多くが男性家族である。その背景には、介護は、そればかりでなく男性の苦手な家事の負担(炊事、洗濯、買い物、掃除など)を伴う場合が多い、これらと仕事との両立は容易ではない、困難を抱えても人に助けを求められず孤立する男性が多い、といった事情がある。
介護はつらくて大変だというのは厳然たる事実だ。ただ留意したいのは取材に応え体験記を記した多くの介護者が異口同音に「でも、そればかりでもない」と発したことだ。介護はささやかなりとも希望にも喜びにも浸れるような、直面して初めてその価値に気がつく生活行為でもあるというのだ。社会の主流である介護を排除してこそ成り立つような暮らしと働き方への異議申し立てだろう。本書が提起する「介護のある暮らしを社会の標準に」という主張は、こうした介護者の両価的感情との出会いから生まれた。
男性を介護の射程に収めることは、視点を変えると男女がともに介護を担う時代を見据えることにあり、男女が手をたずさえ家族と自分の老後を安心して託すことができる新しい介護社会のシステムを創造していくことに他ならない。これは家族介護を礼賛しそこに誘導することとは一線を画し、「介護の社会化」の延長線上で家族と介護とを捉えようというものだ。いわば、家族等をいたわり気遣う権利(ILO156号条約)の観点から介護の社会化を考えてみたいのだ。
万全の準備をして介護に臨んだ人、備えなく突然に介護場面に押し出された人、これまでの愛情や支えの恩返しを胸に一歩を踏み出した人、家族責任の思いからすべてを引き受けようと覚悟を決めた人、仕事と介護の両立に難儀している人、離職を余儀なくされた人。家族を看取った人もいれば新たに次の人生を歩き始めた人もいる。いわば、時代のフロントランナーとして戸惑いながらも介護者の道を歩むことになったすべての男性たちに心からのエールを送ろうと思う。 ~
以上はこの本の趣旨を端的に語っている前書き部分の要約で、涙あり笑いあり読み応え十分の本編はこのあと続きます。世帯人数の減少や高齢者の増加により男性介護が増えるのは道理ですが、新参者である男性介護者が地域の介護者の集い(女性の割合が多い)に参加しても馴染めないことがよくあり、各地で自然発生的に男性介護者の交流の場ができているのだとか。そうしたグループが、「認知症の人と家族の会」や「男性介護研究会」の呼びかけに応えて「男性介護者ネット」を設立した経緯があり、今ではすべての都道府県に会員がいると記されています。
それを知って、これは男性のワクに閉じこもったネットワークかと思われる方があるかも知れません。しかし、著者は次のように書いています。 ~ 介護・育児のために職場から排除されキャリアを剥奪されることが、女性ならば当然視され、社会から支援の対象として認知されることもなかった。いざ男性が当事者となると、なぜに社会問題と化すのか。場合によっては特段に注目され、さらには賞賛されるのか。この社会に深く根を下ろすジェンダー規範を乗り越えていくにはどうすればいいのか。この課題に男性たちのケアのコミュニティはどう関わり得るのか。ネットワークの10年は、いつもこうした問いに向き合いながら交流する日々だった。~
引用ついでに本編からいくつかの報告やデータを転記します。
・男性介護者の介護困難の内容は、身の回りの世話および家事労働であった。中でも特に排泄や食事の介助が最も多く、問題行動は少なかった。男性介護者は女性介護者に比べて介護に時間がかかり、介護負担がいっそう強くなっていると考えられた。(本書P70。小和田・中山による1992年アンケート調査結果)
・男性介護者は介護を一身に背負い、精神的負担が非常に強いことや、周囲への援助要請が消極的であること、痴呆や介護への知識不足が介護への負担感を強くしていることなどが推測される。高齢者介護問題を取り上げた従来の研究では、介護が伝統的な性別役割規範のもと、嫁や娘といった比較的若い女性によって担われてきたため、高齢配偶者間介護、特に高齢の夫が介護者である場合の介護問題については研究が不十分である。(P72。一瀬による2002年「高齢者の心中問題に潜む介護問題」)
・同居の主たる介護者の続柄(1968年~2019年の割合変化)
嫁 (1968年:49.8% ⇒ 2019年:9.8%)
妻 (20.5% ⇒ 25.9%)
娘 (14.5% ⇒ 16.1%)
夫 ( 4.5% ⇒ 14.3%)
息子( 2.7% ⇒ 14.9%)
婿 ( 0.4% ⇒ 0.3%)
(P85。著者作成データ。「その他家族」を除いた数値。中間年の数値を省略して引用しましたが、どの続柄の増減もほぼ直線的な動きを示しています。「嫁」の激減と「男性」の激増が明らかです)
・要介護者と同居の主な介護者の年齢組み合わせ(2001年~2019年の割合変化)
60才以上同士 (2001年:54.4% ⇒ 74.2%)
65才以上同士 ( 40.6% ⇒ 59.7%)
75才以上同士 ( 18.7% ⇒ 33.1%)
(P87。厚労省データより著者が図表作成。ここ20年で介護の「老々化」に拍車がかかっています)
・男性介護者のシンポジウムにおける支援者(社会福祉協議会職員)の発言
「徘徊に悩まされたり、夜中に何度もトイレに起きて大変なんだという会話を傍らで聞いていた、介護5の寝たきりの妻をみている人が、『妻のそういう状態(徘徊やトイレ介助)を何年も見たことがありません。私にとってはそのような状態は逆にうらやましいです』と話された。こういうのが大切かと思った。聞いていて思わず泣けてくるような場面もある。こういう気付きは私たちが支援できるものではなくて、介護者同士だから言い合えるものだと思ってそっと聞いている。」(P161)
長々と引用しましたが、最後に収まりよく「まとめ」らしいことを書くことができません。しかし、この本「男が介護する」は、男性介護、老々介護のただなかにあるわが身につまされます。私も時間を使い手抜きをせずに介護と家事をやっていますが、どうも投じたエネルギーにみあう結果を得られていません。要領が悪いという自覚はあるので(特に母のための家事や買い物に関して)、今後、少しは進歩の可能性もあると思いたいところです。次回はケアシステムについて考えます。
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