2023/01/19

198)命の船

  こんな小話がありました。~ある動物園に毎日かかさずやってくる熱心なお客がいる。いつも他の動物に目もくれずチンパンジー舎に直行して長い間あきもせず観察している。あまり度重なるのである日、職員が何かのご研究ですかとたずねた。するとお客が答えていうには、いやなに人間は猿から進化したっていうからね。チンパンジーがいつ人間になるかこの目で見届けてやろうと思ってさ。~

 ダーウィンを学んだ私たちは、何年たっても熱心なお客の望みがかなわないと知っています。サルとヒトは数百万年前に同じ霊長類から枝分かれし、それぞれ後戻りできない道を前へ前へと進んできました。もう兄弟に戻れません。長い時が流れてクロマニョン人など新人類が現れたのが20万年前のこと。これを私たち現生人類の祖先とみなし、世代のサイクルを仮に20年とすると、いまの地球上の私たち80億人は等しく「ヒト一家」の一万世代目の末裔にあたります(20万年÷20年=1万)。

  かたや日本列島に人が住み始めたのが3万年前ですから、同じ算式によると私たちは列島先住民の1,500世代目の子孫となります。滋賀県では井伊家が由緒ある古い家柄、京都で有名なのは冷泉家、大御所はもちろん天皇家とされていますが、こうした系譜もその長さにおいて人類の歴史の中で何ほどのこともありません(くだけていうと「それが一体なんぼのもんや」です)。これが家系や血統について云々する際の「額縁」であると私は思います。今さら言うほどのことでもないのですが。

  また関連して思うことは、親から親をたどって時をさかのぼると驚くほど多数の関係者が存在するという、これも当たり前の事実です。親は2人、祖父母は4人、曽祖父母は8人、、とネズミ算式に増えていきます(2のn乗)。さきほどの話で「列島住民1500世代目」にあたる私は、最小単位である自分の「家系」において「16代目」ですから先祖の人数は「2の15乗」、すなわち32,768人となります。長く続く3万をこえる血脈の末端に一人の私が存在しています。

 この計算は「同一人の複数回の婚姻」、「血族内婚姻の可能性」、「家をつなぐための養子」等を度外視していますから、正確には「人数」ではなく「人と人の出会いの延べ回数」と言うべきかもしれません。ともあれ一つの「家」にもこのような長く大きな命の連鎖があり、否応なくも有難くも、そこに位置づけられた自分がいます。昨年の暮れ、わが家の古文書の整理をようやく終えて息子夫婦に渡したばかりといういきさつもあり、恐縮ですが個人的な話をいたします。

 今から260年前に書かれた「伊恵能起(家の記)」と題する和綴じの由緒書きがわが家に伝わります。昨年、専門家に解読と現代語訳を依頼して私も初めて中身をよく理解しました。宝暦10年(1761)に4代目茂呂伝兵衛永喜が88才で書き始め、明和2年(1765)にその子茂次郎得能が完成させたもので、記述は詳細にわたり証文の写しなどが添付されています。一族の習俗や守るべき掟が書かれており、当時の町人の生活を知る史料として実物は十数年前に大津市歴史博物館に引き取っていただきました。

 この記録は、蛭が小島に流された源頼朝に仕えたという先祖の事跡から始まり、関ケ原の合戦以降、武士をやめて下小唐崎町(大津市中央2丁目)で酒を商い、ついで煙草商となった経緯が語られています。「治部少輔(石田三成)の謀叛の時に大津の民家が残らず焼き払われ、山家に移った」とか、「武摂(武蔵の徳川と摂津の豊臣)の天下争い(大阪冬の陣、夏の陣)で多くの軍兵が京を目ざして進んだ際は、上げ蔀をおろし門を閉ざして軒下に酒壺を置き酒を売った」などの記述もあります。
 なお「蛭が小島」云々は口伝に基づくもので逸話の数々は具体的ながら物証が不十分です。元亀元年(1570)に生まれ95才で没した長兵衛宗春が「初代」とされ、この人物は過去帳や遺品から存在が確認できます。

「家の記」は昔の話ばかりでなく、子孫に向けては先祖の物語を心にとどめて家を守るべしとして処世や商売の心構えを説いています。いわく、掛け売りをしてはならない、使用人は近郷から雇わない、買い物を妻に任せきりにしない、お祝いの返礼はこの程度にせよ、法事のお膳はこれこれにせよ等々、指示が一々具体的です。
そして後書き(跋文)は、「今後も掟を固くまもり、仁の心で人を使い、困っている者を助け、欲の深くない人を友として心の客月に楽しみ遊ぶならば、誰があざけることがあろうか」と締めくくられています。

 もともと私は、「世の中にいろんなエニシがあるけれど自分は自分である。血縁、地縁、職場などに搦めとられるのは真っ平ごめん」という意識がつよく、ご先祖さまもいいけれど結局は昔話に過ぎないと思っていました。そしてこの上ない伴侶を得て子どもを授かりましたから、まずは「家族という単位」で支えあって自分たちの幸福をめざすことが一番で、そのことを通して周囲の人々の幸福に資するよう努めたいと考えていました。根っこの部分は今も変わりません。

その一方で近年は、子であった者が親になるという数しれぬ繰り返しの一コマとして自分が生まれたという自覚、連綿と続く長尺の織物の一つの「織り目」として自分が存在しているという感覚もあるのです。個が集団に包摂されるのとは少し異なって、自分は自分の意志で生きていると同時に、大きな生命の流れの中でたまたま(奇跡のように)生かされているという思いです。これは年配の人の多く、すなわち長く生きて出会いと別れを繰り返してきた人々に共通する心情ではないでしょうか。

 こうして私は「家の記」を読みましたが、書かれている中身以上に、先祖が子孫にメッセージを伝えようと意図し2代にわたって書き継いだという事実に感じるものがありました。この記録は「家」意識の現れに他なりませんが、「家訓」にとどまらない何物かがあるのです。書き手が、まだ見ぬ子孫をリアルに想定していることは明らかで、それが文章に訴求力をもたらしています。酸いも甘いもかみ分けた老人が、居並ぶ子や孫を前に滔々と昔語りをするような風情があります。これを息子たちに渡そうと数年前に妻が言い出し私も同意したのですが実行に移せず、昨年末にようやく資料一式を3冊のファイルにして息子夫婦に託した次第です。

私の好きな山下達郎に「REBORN(リボーン)」という歌があります。彼のコンサートには何度も行きましたが、あるステージで「依頼されていた『再生』を主題とする作曲がようやく完成した」と彼は語りました。映画「なみや雑貨店の奇跡」のテーマ音楽であったと後に分かりましたが、それがこの曲です。愛する人との痛切な別れを近景とし、連綿と続く生命の連鎖を遠景とする命の抒情詩です。すべてご紹介したいけれど一節だけ掲げます。

~わたしたちはみんな
 どこから来たのだろう
 命の船に乗り
 どこへと行くのだろう
 あなたからわたしへと
 わたしは誰かへと
 想いをつなぐために~

達郎氏の心が私にひびきます。また、曲の終わりに「たましいは決して滅びることはない」というフレーズがあります。たましいは記憶と言い換えることが可能です。時代の記憶は大河のように流れ次の世代に受け継がれていきますが、その流れのひとしずくである名もない一つの家に紡がれた記憶を、私は妻の後押しと古い書物とのお蔭で次の世代につなぎ得た気持ちになりました。それがなんぼのもんやと言われると返す言葉がありませんけれど。



 

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