2023/05/07

205)言葉について 2

  政治家の弁明めきますが前回は大変舌足らずで我ながら意味不明の記事となりました。「訳わからん。言葉の劣化はお前だろう」と言われても仕方ありません。こうして書くほどに自分をさらしていますが恥は覚悟の上、今後もぼつぼつ続けていきたいと思います。言葉は本当に難しいと感じます。言いたいことをうまく掘り当てられないままに「第2弾」の発射です。

 ご承知のとおり「ジモティー」は「売ります・買います(上げます・貰います)」のネット掲示板です。このたび多数の家具や建具を無料で出品したところ希望者続出で慣れぬ対応に追われましたが、すべて首尾よく引き取っていただきました。その際のメールのやりとりで「私は前にタンスが欲しいと言った人です。今度は洗面化粧台を希望します。まだ取引はできますか。」という文面に出くわしました。

 私は例のごとく「人じゃないだろ、自分のことは『者』」って言うんだろ」と内心で思いました。ところがその後、洗面台を引き取りに現れたメールの主と対面し、外国語(おそらく中国語)を母語とする方であると知りました。会話がまことにたどたどしいのです(私の英会話よりは上手ですが)。翻訳ソフトを使ったにせよメールの文章を書くのも一苦労だったでしょう。そうと分かれば「人」と「者」の差など些細な話であり、私は、揚げ足をとって喜んでいる意地悪じいさんのような気持ちになりました。

 これは言葉がその語り手に「紐づけ」されていることのささやかな証拠です。どんな人がどんな状況で言葉を発したかという「周辺事情」がその受け手の認識や評価に何らかの影響を与えます。伝説的な例として明治15年、演説中に暴漢に襲われた板垣退助の「われ死すとも自由は死せず」や昭和7年5・15事件の犬養毅の「話せばわかる」があります。これらの言葉をめぐって諸説あるようですが、いずれにせよ状況を切り離すとかなり異なった言葉になるでしょう。

 「言葉の力」は何に由来するのかと私は考えます。話し手(書き手)である発信者が言葉に推力と伝達力を与えるのはもちろんですが、「馬の耳に念仏」というとおり受信者の受容力も大いに関与します。それどころか「目ざしの頭も信心」で取るに足らない言葉すら受信者の中に確固たる位置を占めることがあります。一方で発信者は自らの言葉の受信者でもあり、特に長い文章においては相互干渉が起こり得ます。また先ほどの例のように言葉の「周辺事情」も言葉の力に影響を及ぼします。

 しかし、こうした問題の立て方は時代遅れかも知れません。いまやAIが自律的な表現活動を行うわけですから、「~生きる力をあたえる~デジタル名言集」といったコンテンツが自動生成されてもおかしくないでしょう(何かの文学賞にAIが書いた小説が入選したというニュースがありました)。言葉の「力」が受信者に対する「作用力」であると荒っぽく言ってしまえば、AIを言葉の担い手として認めざるをえません(昔人間の私としては否定感情の方が大きいAIの「進展」について別途書きたいと思います)。

 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という福沢諭吉の言葉。そのむかし教科書で習ってからどういう訳か私の中に住みついています。彼がアジア蔑視にもとづく脱亜入欧論を唱えたこと、当時は「納税男子」にしか選挙権がなかったことなど「周辺事情」はこの言葉の意味を完全に裏切っています。しかも、福沢が「~と言えり」と続けている通りこの言葉は彼自身のものではなく、アメリカ独立宣言の一節の意訳であるとされています。

 したがって「こんな言葉は信じるに値しない。まやかしである」と断じる人がいても不思議ではないし、むしろそれが正論だと思います。しかし、私にとっては少なくとも「言葉の意味するところだけ」は価値があり、それを福沢によって知ることとなったといういきさつは消しようがありません。受信者の勝手な事情なのですが、これも言葉の力であると思うのです。

 数年前、信頼する友人二人と私たち夫婦の四人で「一微塵」という場をもうけ、顔の見える範囲まで輪を広げて共に語ったり小冊子を編んだりしました。その時のテーマの一つが「言葉の力」であり、それを思いだしつつ今回の記事を書きました。4人のうち2人とは今は境を異にしています。妻は「松明は受け継がれていく」という筑紫哲也氏の言葉を引いた上で宮沢賢治の言葉「アラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レズニ」を繋げていきたいと書いていました。その言葉は彼女の松明でもあったと思っています。




















 

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