今回は大津市へのエール記事ですが、まず公務員の風上にも置けない国交省幹部らの人事情報漏洩について書かずにいられません。森友・加計学園問題に見るように公の私物化は安倍政権で頂点(どん底?)を極めた感がありますが、首相が変わって水が清くなるわけではありません。政権をつらぬく暗流は深く太く、省庁の役人もしっかり汚泥にまみれているようです。
国交省OBが、天下り先の民間会社で自分を社長にせよと横車を押したことが明らかとなり、同省の人事情報がOBに漏れていたことも芋づる式に分かってきました(朝日新聞のスクープ?)。当初は否定していた斎藤国交相も外堀が埋まると「国民の疑念を招きかねない」と決まり文句を発し、今後は規律をただすと述べました。「私利私欲にもとづく政治家や役人の不祥事」と「その重大性を小さく見せようとする責任者の白々しい釈明」が定食のように繰り返されて胸やけがします。
明日世間が知る情報を今日知ることが権力の証しです。情報取得の速さがパワーの源泉です。これを黄門さまの印籠のように掲げ民間会社をいじめていたのが天下りOBで、さらにいずれ天下ろうとする現役幹部でした。国交省では新旧の人事ポストを線でつないだ「線引き資料」なるものが多数外部に出回っていたようです。「いずれ公表される人事情報なので実害はない」という国交相は、そのイスに相応しい認識に著しく欠けています。こうした人物をトップに省ぐるみで権力の私物化が行われているというと少し言い過ぎでしょうか。
私のよく知る「国のお役人」は多くありませんが、みんな頭の回転が速く保身が上手であるものの悪人はいませんでした。町なかに放つと立派な市民です。しかし、こういう普通の人たち(彼らはそのように思っていませんけれど)が集まってピラミッドを形成し許認可権をいじり出すと「公」の軽視が生じる。これが権力の腐敗の一つの現れ方だと思います。個人の問題に引き寄せれば、彼らが私益と省益と国益を同じレベルで見ているところに問題があるだろうと考えます。
霞が関ばかりではありません。どこの市であったか、職員が市民の個人情報を私的かつ大量に取り扱って仲間内のお喋りのネタにしていたという飛んでもない事案がありました。国も地方も大多数の公務員は真面目であると信じますが、それでも不祥事があとを絶ちません。なんらかの権限をもって仕事をするということは塀の上を歩いているようなもので、いつも足を踏みはずす危険と隣り合わせです。倫理観や使命感も大切ですが、「公務」とは何かという自問を繰り返すことがさらに重要だと思います。それを組織的に継続できると本当に良いのですが。
本題です。大津市が「大河ドラマ『光る君へ』活用推進協議会」を設立して観光客の誘致に動き出していると報じられました。なんとも率直明快な(悪く言うとミもフタもない)協議会の名称ですが狙いはよく分かりますし、OBの一人として取組の推進を期待するところです。愛すべきキャラクターであるにも関わらず彦根のネコの影に隠れがちであった「おおつ光ルくん」もいよいよ出番です。活躍を期待しています。
いまさら申し上げるまでもありませんが、石山寺は湖が川となって流れだし瀬田の唐橋をくぐり抜けたその先、伽藍山の麓に位置する名刹で、紫式部が参籠して源氏物語を構想、起筆したことで知られています。日本を代表するこの物語の誕生に決定的な役割を果たしたのは、人では藤原道長、場所では石山寺(および大津市)であったと私は思います。宇治市や越前市も「式部との縁」をアピールしていますが失礼ながら大津は格上です。
佐藤市長は4月の定例会見で「大津を発信するのみならず、紫式部ゆかりの地であることを市民の皆さんに改めて知って頂くいい機会になる」とコメントされました。同感です。特に市内の方々が地域の歴史を知るということには重層的な意味があります。
いつかも書きましたが、私という個の存在は、長い縦糸と横糸が織りなす無数の織り目の一つであると感じます。縦糸は悠久の時間の流れに沿い、横糸は同時代を生きる人や物にどこまでもつながっていく。織り目は単なる交差点ではなく、糸の先行きに影響をおよぼす結節点でもある。表現が難しいけれど何となくこのようなイメージです。
ひとりの神がいる世界観と大いに異なるアミニズム的な考え方(というより感じ方)ですが、この無限大の織物を透かして見ると、自然が人を育み、人がまちをつくり、まちが人をつくるという関係も浮かび上がってくる気がします。遥か上方の結び目に最澄があり、少し下に円珍、紫式部、さらに下って木曽義仲、蓮如、北村幽安と続き、明智光秀、松尾芭蕉、明治になるとデレーケ(オランダ堰堤築造を指導)、フェノロサ、山本春挙等々。有名どころを上げましたがこれらの人々は少数のサンプルにすぎません。要はこの社会をどう解釈するかという「見立て」の問題であると思うのです。
今日も仕事だ、介護だ、保育園だ、病院だと今を生きる人にとって千年前の紫式部が縁遠いのは当たり前でしょう。だからこそのPR活動でもありますが、この際大津市のご担当者には「市民の愛郷心の向上」という目標を少し掘り下げ、個人・社会・歴史の観点から自前の考えをもって業務にあたっていただくようお願いします。いわば「紫式部活用」の社会学的、哲学的意義の認識です。ここを押さえないと上滑りです。外野席からありがた迷惑のエールかもしれませんが、これは市役所の原点に関わる仕事だと思います。光ルくんがんばれ!
<ジモティー余話>
母の家の整理でジモティーを活用していることは前回書いた通りです。真夏のような一昨日、天井付のシーリングライトを引き取りに来たベトナムの青年が私に呼びかけました。「おじいさん電気きってください!」。私は、はいちょっと待ってねとブレーカーを落としましたが、面と向かっておじいさんと呼ばれたのは初めて。山のふもとの駐車場を管理する「上桐生婦人会」の方々からは、にいさん若いなあええなあ、と可愛がって頂いている私も異国の若者の曇りない目はごまかせませんでした。
彼が離れのトイレも流し台も欲しいと言ったので驚きつつ、取り外しと搬出を手伝いました。30度を越す暑さのなか作業が一段落したところで縁側に腰かけ、コンビニのアイスクリームとジュースで休憩。彼は滋賀県内の工場に勤めており「ぼろぼろの家」を買ってリフォームしている、ベトナムの人は何でも自分でやると話しました。両親はベトナムだが自分は子ども二人と日本に住んでおり、来年永住権の申請をするとのこと。彼にとってベトナムと日本のどちらがよいか知る由もなし、私は答えずニコニコおじいさんを続けました。
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