ずいぶん間が空いてしまいました。前回記事から半月ほどの間に、汚染水放出の免状を米韓にねだったり、「風力」で袖の下をふくらませたり、除草剤で街路樹を枯らしたりと官民で驚き呆れる出来事が報道されました。こうした世相を「公」の切り口から縦横無尽に論じたいのはやまやまですが、私の手の届く範囲でボツボツ書きます。3つあります。
<後日譚>
前回記事は「節目にあたっての閲覧御礼」のつもりで書き始め、そこでようやく過去の記事の消失に気づいた次第です。これまでの経過を振り返った箇所を読んで「(私の妻の)声が聞こえるようだ」とメールを下さった方があり嬉しく有難く思いました。一方、大津市政の記事が読めなくなった件については予想外の(勇ましい)メールや電話を頂きました。「あの人物ならやりかねないな」、「被害届を出してはどうか。少なくとも警察に相談だけしては」、「被疑者不明で刑事告訴せよ」等々。
私も、これは人為によるものと考えていますが確証はなく、まずは友人の尽力で記事を復元できたので「これでよし」と思っています。クリスマスキャロルの主人公スクルージのように過去の亡霊に出会った気がしますが、私の「応援団」がいて下さることも改めて分かり心強く思いました。今後も変わらず書いていきます。
<躓きの石>
私のつまづきの石は、いつもは歩かない山道に積もった枯れ葉の下にありました。靴底の半分でその石を踏み足首を捻挫をしたのが7月中旬。過去の経験から腱が伸びただけと判断して自家療法につとめ、先日からようやく「桐生彷徨」を再開しました。山の上からいつも琵琶湖の対岸を眺めていたので、しばらく何か欠け落ちた気がしていました。大津よい町です。
岸田氏のつまづきの石は沢山あります。子息や閣僚の質の問題は小石に過ぎません。大きな石は「敵基地攻撃を含む軍備増強」と「原発回帰」です。これで彼がコケるのかどうか。それを審判する側の「評価時間の長さ」が問われています。「日本よい国」になってほしいと切に思います。
ちなみに政府は、「汚染水」や「マイナカード」などについて「国民の不安解消」という言い方を多用します。まるで国は正しいことを進めようとしているのだが意図が十分に国民に伝わらず無用な混乱を招いている、という口ぶりです。そうじゃないだろ、国の取組そのものが問題だと言ってるんだ、国民をバカにするな、と私は思うのです。
特にマイナカードについて、国は不具合の責任を地方自治体に押し付けようとしています。制度設計、点検項目、スケジュールなど全て国が決めたことであり、自治体の責任は皆無とは言いませんが問題は国にあります。全国知事会や市長会にストライキ権があればいいのにと私は夢想します。あるべき「地方自治」はまだ先です。
<花火大会>
大津の花火大会に地元の中央学区が反対声明を出したことを知っているか。これこそ「公」の問題だから大津通信に書くべきだ、と友人が言ってくるまでこの件を知りませんでした。なるほど「全体」と「一部」との利益の調整という構図において友人の指摘は当たっており、いわゆる「迷惑施設」の建設問題にも通じます。私は今も報道されている以上の情報がありませんがその範囲で書きます。
明日(8月8日)は久しぶりの琵琶湖大花火大会。実行委員会は1万発確保のため有料観覧席を大幅に増やした。例年以上の人出を見込んで「有料チケット」を持たない人は来ないでくれと市外にPRした。人の滞留を防ぐため(有料席の値打ちを高めるためにも?)高さ4mの目張りを延長した。地元はゴミと混雑だけ押し付けられ、花火の視界を奪われたと受け取めて学区自治連として反対の申し入れを行った、ということです。
いまは草津住民である私としては、安全で持続可能な大会運営をめざす実行委員会の意図も分かるし地元の気持ちも分かるし、間をとって何とか折り合えればいいのだがいう中立的な気持ちがわきます。花火大会を明日にひかえ実際にどんな動きになっているのか知る由もありませんが、今後に向けて幾つか再確認すべき点が明らかになったと思います。
まずは市民にとっての花火大会の意義です。琵琶湖は絶好のキャンバスだし回数を重ねてきた催しですから今後も続けばよいと私は思っていますが、年に1回、1時間のための無駄遣いだという意見もあります。コロナだって無くなったわけではありません。観光振興の面では通年のリピーター増加に対する貢献度も知りたいところだし、ライトアップ補助金など一連の観光施策の中で捉えなおす視点もあります。
1万発を小分けにして会場や日時を分散させる案もありえます。千発では花火の気がしないという意見もあるでしょうが、私は昔、近江八幡の小さな神社で地元の花火師(といっても趣味でやっている人)が打ち上げる数十発の花火を真下から見たことがあり、頭上に火の粉が降りかかる光景に息をのんだことを覚えています。こんなレトロな花火はもうできないでしょうが、大規模化以外にも道があるかも知れません。
今回は、地元の人が「締め出された」と感じた(であろう)ことが問題です。浜大津の歩道橋付近には以前から危険防止のため目張りがされてたものの、湖岸一帯に視界をさえぎるものはなかったと記憶しています。花火は夜空という「公共空間」に打ち上げられるもので有料観覧者だけのものではないという点がホールやアリーナでの催しと大きく異ります。そして花火が見えない場所にも音は届きます。それが心身にキツいという人だっているはずです。様々な人が受け入れることで大会がなりたっています。
難しいことを言い出したら何にもできませんが、かといって様々な見地から検討せざるを得ないのが社会的・公共的な活動です。だいぶ昔の話になりますが、音楽家の冨田勲氏から琵琶湖を舞台に「サウンドクラウド」をやりたいとの申し入れがあり、所管の決まっていない仕事は企画課が引き受けるということで私が担当になりました。冨田氏がシンセサイザーを操作、湖上高く釣り上げたピラミッド状のガラス箱から大音響を流しつつレーザー光線を空中で交錯させるという音楽イベントでドナウ川や長良川での実績がありました。
騒音と光害の苦情が来てもこれはぜひ実現したいと私は思い、長良川イベントの自治体視察をしたり市長に冨田氏と面会していただいたりと動きかけたのですが、ちょうどその時、最大スポンサーの屋台骨を揺るがす内紛が発生してプランが吹き飛んでしまいました。この時、冨田氏が市に求めていたのは地元自治体としての事業承認と人的な応援、関係機関との調整、地元住民への説明でした。今回の花火の件でこのことのを思い出しました。
以下は8月8日の付け足しです。高さ4メートル、延長2キロ目隠し幕とそれに囲まれた有料席の映像を見ました。「只見はするな」とのメッセージになりかねません。また、比較的スペースのある有料席を増やしたことにより、それ以外のエリアにおける人の密度が増す可能性があります。従来も湖岸は人であふれていましたが、部分的にさらに危険度が上がることが懸念されます。
デッキチェアのような「エグゼクティブシート」の写真も見ました。それ自体はステキだし奮発して優雅に花火を楽しむのもアリなのですが(各席とも既に完売)、全体的に「市民に開かれたイベント」から離れつつある気がしました。何はともあれ4年ぶりの開催です。休場明けの大相撲力士のように「勘がもどらない」ところもあるでしょう。今夜が無事に終わり、来年以降にさらに良い形で継続されるよう期待したいと思います。
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