2024/03/25

230)お先にどうぞ

 終点の上桐生バス停から徒歩2分、山林の入り口に「桐生若人の広場」の看板があります。年寄りお断りかいと前を通るたび思うのですが、実際にこのエリアは青少年の教育キャンプ場となっています。半世紀前ここで私は大津市の新人宿泊研修を受けました。同期生やリーダー役の先輩職員の顔はもちろん、キャンプファイヤーを囲んで唄った歌を今も覚えています。屈託なさそうな仲間うちで「働く憂鬱」をひとり持て余していた私は何とも甘っちょろい新採職員でした。

 しかしこれをきっかけに二人で、ついで家族で桐生を歩くようになりました(少し南にある田上山へもよく行きました)。当時は訪れる人もまばらで特に冬場はわが家の庭のようでした。雪だるまを作ったりラーメンを食べたり柿の種をうめたり。やがて人生の繁忙期に入って長くご無沙汰のあと二人で出かけたのがつい3年ほど前のこと。コロナが人々の背中を押したのでしょう、人出が増えているのに驚かされました。

 私はもはや単独行ですが、かつての私たちのように二人連れ、家族連れが何十組も押し寄せて桐生の山はにぎわっています。夏から秋の土日には100台ほどの駐車場が満杯で京都、大阪、奈良などのナンバーが目につくし観光バスが停まっていることも珍しくありません。番小屋に掲示された料金表が頭に入っている私は、今日の売り上げは幾らぐらいかとつい計算してしまいます。オランダ堰堤の夏は市民プールのごとく、川岸から立ち上る幾筋もの焼肉の煙。山奥まで足を伸ばす人も増えました。

 こうしたわけで最近は山道でよく人と出会います。ご存じのとおり山ですれ違う時は、登る人優先、クサリ場は下る人優先、単独行優先、大荷物優先、なるべく挨拶、といった緩やかなルールがありますが、桐生は気軽に歩ける低山ゆえこだわらない人が多く「桐生の主」である私もそれを咎める気持ちはありません。いずれにせよ私は状況に関係なく道を譲ることにしており早めに立ち止まって待つか、余地がなければ山側に登って道を空けます。

 これはルールの遵守というより、率先して道を譲ったほうがスムーズに行き違うことが出来るし予期せぬトラブルの回避にもなるという実利判断であり、もう一つは少年時代に読んだ小説の影響があると思っています。名前も筋も忘れた小説の中で、主人公の青年が歩いていると向こうからはかま姿の女学生がやってきます。雨上がりでぬかるむ狭い道で行き違いは無理。そこで青年はためらわずに下駄ばきの足でぬかるみに踏み込んで女学生に道を譲るのでありました。

 この情景に私はしびれ、自分もそんな場面に遭遇して道を譲りたいと夢見たものです。ドンキホーテの影響も多少ありそうです。騎士道物語を読み過ぎておかしくなった主人公が「うるわしの姫」に忠誠を誓う姿に私はある種の高貴さを感じました。青年は女学生に道を譲り、ラマンチャの老いた男は姫(それも滑稽な人違い)に尽くした。大げさに言うとこれらは自己犠牲の一類型であり、その点に若かりし私は共感を覚えたのだと思います。半分以上は女性への憧憬であったかも知れませんが。

 たかが山道を譲るだけであれこれ書きました。しかし私の家族は車の運転を含めていつも道を譲るし、友人知人の顔を思い浮かべてもみんな道を譲りそうです。考えてみるとたいていの人は道を譲るものかも知れません。とすると私は桐生の山道でフライングすることにより、すれ違う人の「譲る機会」を奪っていることになります。ともあれ「どうぞお先に」と言う方が気が楽であることは間違いありません。

 見知らぬ人に道を譲る私は、水や食料や医薬品を譲れるでしょうか。そんな状況はあまり考えたくないけれど、先ごろ能登で起こり、今も海の向こうで続いている事態です。こう自問するだけで自分の言説がいかに安楽な日常の内側のものであるか思い知ります。その上で言うのですが、戦争を回避すること、天災による被害を低減すること、原発を無くすことは政治としてなし得ることであり政府に大きな責務があります。

 一方、自己と他者の関係において、私とあなたのどちらが大事か、私と家族のどちらが大事か、私たちと社会のどちらが大事かといった究極の問いかけがあり得ます。答えることはもちろん考えることさえ躊躇される問いです。しかし、個別的な関わりの中で、他者を自己と等価のものである、それどころか自己より大切なものであると見なす人も確かに存在します。そうした人の記憶に私は励まされています。





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