2024/09/11

247)順番違いはアリません

 順不同という言葉があるけれど物事にはたいてい順番があります。食事の前が手洗い、後が歯磨きだし、1号車の次に2号車が連結され3、4号車と続きます。特に複雑で精密な作業は順序や手順が重要だし、誰も経験したことがない危険作業の場合は尚更です。しかし東電は、福島第一原発の爆発から13年を経てどうにか漕ぎつけた耳かき1杯分のデブリのサンプル採取をお粗末なミスで中止しました。パイプの接続の順番間違いです。

 福島第一原発の1~3号基では、空焚きで溶融した核燃料が原子炉の底を突き破り、炉外の設備まで飲み込んでドロドロの溶岩状になった後、格納容器の中で(外にも?)冷え固まっています。この燃料デブリ(推計880トン)の放射線はロボットが故障するほど(人が近づけば即死)で、その性状や分布範囲が不明のため取出方法も決まっていません。いまなお「敵情視察」の段階です。

 今回は、長さ22mの「釣り竿」の先端からケーブルを垂らして3グラム弱の砂粒状のかけらを摘まみとる予定でしたが、直前になり「竿」を押し込む5本のパイプ(各1.5m)の1本目が誤って4番目にセットされていると判明。並べ替えようにもパイプには既に電力ケーブルが通されており、防護服を着た従事者(48人が6人ずつ交代作業)も長く建屋内に留まれないため作業中止となりました。ちなみに1~4号基の建屋は毎時12,000ベクレルの放射性物質を大気中に放出しており、敷地内で毎日4500~4600人が働いています(ほとんどが下請け、孫請けの雇用者)。

 これら5本のパイプは形状が異なり接続順が決まっています。しかし作業手順書に「パイプの順番を確認する」という項目がなく、関係者は1か月ほどパイプを目にしながら間違いに気づきませんでした(こうしたミスは過去に何度もあります)。9月10日に作業が再開されましたが、採取したサンプルの放射線量が毎時24ミリシーベルトを超える場合は「隔離箱」からそのまま炉内に戻され、次の一手が検討されます。これが「とっつきやすい」2号基の話であり、1号基、3号基のデブリ調査はまだ先です。

 人為的なミスは必ず起こります。スリーマイル事故(1979年)はシステムの不具合と運転ミスにより冷却不能となったことが原因で、チェルノブイリ事故(1986年)は黒鉛炉の特性と運転ミスが重なって核暴走を起こしました。福島事故(2011年)は津波による電源喪失が引き金となりましたが、その後の対応ミスが被害を拡大しました。浸水被害を免れた1号基の非常用復水器が作動していると誤認したことを指揮にあたった所長が認め、深い反省を述べています(吉田調書)。

 これがメルトダウンを加速させて1号基建屋の水素爆発をもたらし、2号基、3号基の電源復活を頓挫させることとなりました。吉田所長は本社の指示を無視して海水冷却に踏み切り英雄視されましたが、後の検証で長時間にわたり海水が炉心に届いていなかった(冷やせなかった)ことが判明しています。なお前記の非常用復水器は「最後の砦」ですが、原発設置後に作動訓練が行われたことは一度もなく、操作に習熟した職員がいなかったことも判りました。

 福島第一原発は放射能で汚染されていて(汚染は環境に緩慢に拡散中)満足な現場検証が行えないため事故の全貌が不明ですが、現場の人々が死を覚悟し不眠不休で対応にあたったことは明らかで、彼らを非難することはできません。しかし少なくとも人類史上ワーストスリーの原発事故に人為的なミスが深く関わっていることについて、私たちは銘記すべきであると強く思います。

 ネジを作るにも帳簿をつけるにもミスはあります。無いに越したことないけれどゼロにはできません。それが人の常ですからミスを犯した個人を過度に責めることは不適切です。また多くのミスは取り返しがつきます。しかし「ミスをくり返す組織」は問題です。今回の東電の「パイプ間違い」は単体としては軽微なミスで、「3週間の時間のムダ」と「税金や電気料金で賄われている経費のムダ」で済みました。

 東電の「軽微でない」ミスや事故は、公表の範囲内で最近1年足らずの間に「ALPSの洗浄水による作業員被爆」、「高圧焼却炉の壁面配管からの水漏れ」、「廃棄物滞留ピットでの蒸気噴出」、「掘削作業によるケーブル損傷と停電」、「作業員の転落」など8件あります。これから数十年かかるとされる廃炉に向けてデブリの調査に入りますが、先に進むにしたがってミスは重大な結果を招きます。東電という組織の文化や思想が生まれ変わる必要があると私は思います。

 デブリ取り出しについて東電は当初、放射線の遮蔽に有利な「冠水工法」を想定していましたが、格納容器にモレがある(すなわち高濃度汚染水が漏出している)と分かり、今は粉じんの飛散が避けがたい「気中工法」を想定しています。先行事例であるスリーマイルの場合は事故炉は1基だけで溶けた核燃料(130トン)は炉内に留まっており、11年をかけて大半を仮置き場に搬出しました。チェルノブイリでは取り出しを断念して「石棺」で閉じ込め、ステンレスのシェルターで覆いました。

 政府や東電は廃炉完了を「2051年(27年後)」とか「数十年かかる」とか言いますが、おそらく施設の耐用年数等を踏まえた希望年数でしょう。複数の専門家は百年たっても無理だと指摘しており、残念ながらその見解の方が説得力があります。いずれにせよ言った人々も聞いた人々も見届けられないずっと未来の話です。デブリは長い年月、無防備な状態で存在し続けるし、その間に次の地震や津波が来ないという保証はありません。

 そもそも廃炉とはどんな状態を意味するのかさえ明らかにされていません。デブリは仮に取り出せても持っていく先がない(使用済み燃料さえ行き場がない)し、巨大なプラントを解体しても様々な程度に汚染された膨大なガレキを持っていく先がやはりありません。これらの作業がうまくいったと仮定してもデブリやガレキは原発敷地内に恒久的に「暫定保管」されるでしょう。この可能性について政府も東電も口を閉ざしています。

 政府の専門機関が「石棺」も選択肢の一つに入れて柔軟に検討すべきだという報告書を出して政治問題化したことがあります。福島県知事が怒り(それは当然でしょう)、政府がそれに配慮した結果、「石棺」という言葉はタブーとなりました。おそらく内部では「どんな困難があってもデブリを取り出すべきだ。石棺は敗北主義だ」という意見と、「現実をふまえて全ての選択肢を検討することが責任ある態度だ」という意見が対立したはずです。

 デブリは本当に取り出せるのか? 取り出したあと処理できるのか? それらが人と環境に及ぼす影響はどうか? 国家予算をこえるだろう経費の概算額はどれくらいか? の4点について科学的根拠にもとづくオープンな議論が真に求められています。いまからでも遅くありません。耳かき一杯のデブリを取り出し分析してから「石棺」を含めた情報提供と議論を行ってほしいと思います。

 いずれにせよデブリは将来世代へのツケです。というより原発の存在自体が重い負債です。作家の池澤夏樹は宗教学者、秋吉輝雄との対談で「原罪というのはなかなか分かりにくい概念で、僕はいまの日本に生まれる子供が自動的に一人当たり数百万円かの国の借金を背負わされるという事態を想像してしまう」と述べています(「ぼくたちが聖書について知りたかったこと」2009年・小学館)。その発言から10年以上が過ぎた今は国債の国民一人の負担額は1000万円を超えました。池澤さんにならえば将来世代にとって「原発も原罪」です。

 自民と立憲の代表選挙で原発の廃止を明確に述べた人は誰もおらず、むしろ平素のスタンスから後退していました。苦い現実です。一筋の望みをかけるとすれば、小泉進次郎氏が首相に選ばれ、父純一郎氏の教えを守って脱原発に大きく舵を切ることしかないけれど、これは笑い話の類いです。今回は更新の間があいて本来のペースにもどってしまいました。 




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