2024/11/11

254)トランプ当選

 倫理と良識のアマルガムが服を着て二足歩行しているような人でも心の奥底に不逞な考えや破廉恥な願いを宿すことは大いにあるだろうし、人間とはそんなものでしょう。聖書はそれさえ許容しませんが(マタイ福音書5-27)、ちょっぴり大目に見てほしいと私などは思います。むしろそれより重要なのはその想念を「胸にとどめ置く」か「口に出す」かを適切に判断することであって、社会のプレーヤーの一員たる私たちのセンスが問われます。

 もちろん私はダーウィンやマルクスやフロイトのごとく時代を揺るがせるような思想の発表について語っているのではありません。人の内部で鍛えられていない考えの断片、勝手気ままな妄想、明滅する感情、制御しきれない欲望など「低次元の想念」について話しています。こうした自己表出のコントロールは何らかのストレスを伴いますから「物言わぬは腹ふくるるわざ」ともなります。忖度なし、仁義なし、遠慮なしの言いたい放題が人の喝采をうけるのもこうした事情によるでしょう。

 さてトランプが大勝しました。私はガッカリです。友人のメールを引きます。~ アメリカ大統領選には感慨深いものがあります。いわゆるリベラルは世界のマジョリティではない、リベラルを賛じていたのはその世界でこそ自己肯定も日々の生活もベターとしていた実はマイノリティであって、自身もそれに属していたとすれば、この先トランプ以前(プーチン以前、習以前)には戻らない世界でどう考えどう生きていくか難題だなあ、まあ「識者」の発言も聞きながら考えるか、死ぬまでくらいは世界は危うくとも持つだろうと、次世代への責任の考察まで思い及ばない今日の私です。~

 友人は「いわゆるリベラルが実は世界のマイノリティであった」と指摘しますが、確かにトランプの桁外れの内心表出(リベラル的価値観の否定)を多数のアメリカ人が受け入れたように見えます。すなわち公的な立場にある人間が目的意識をもって、また時に感情の爆発として、あからさまな差別的言辞、侮蔑、中傷、誹謗、虚言を吐き出すことに対する容認です。背景に貧困、宗教、移民など多様な事情があるにしても「社会が一線を踏み越えてしまった」気がします。

 そのような飛んでもない規格外の人物に「いかにして気に入ってもらうか」が石破首相の喫緊の課題であることを政府は隠そうとしません。ドラえもんの助けを借りず一人でジャイアンに立ち向かうのび太のようです。それでも石破氏は内心に抱え込んだ想念が一杯あるでしょう。それを思い切りトランプにぶちまけてはどうか。首相と大統領の権力の差は大きいけれど、虚勢でもいいから少しは勇ましいところを見せてほしいと思います。

 トランプを真似て内心を吐露してみせたのが「子宮摘出発言」の百田直樹です。騒がれてなんぼの人物ゆえ受けを狙ったはずですが程なく謝罪会見に追い込まれました。この騒動を見て「百田の『該当箇所』を切除すべきだ」とか「百田の頭に向けバキュームカーのホースを逆噴射させるべきだ」という思いを秘かに抱いた人がいたとしても私は驚きません。一方で百田と河村たかしの「へらへらコンビ」が無視できない力を持っていることも軽視できないと思います。

 内心吐露派で忘れてはならないのは麻生太郎であり、かつて彼がとても肯定的に言及したナチスが、民主的なワイマール憲法のもとで選挙によって合法的に選ばれたという歴史についても同様に忘れてはならないと思います。しかし、私たちが選挙に際して、未来の社会、私たちと次世代に資する社会の姿をどれほどイメージして投票できるかと考えると、なかなか難しいことだと思わざるをえません。

 話は変わって、たまに来る友人とお茶や食事をすることが我が生活の「句読点」で、先週はあいついで二人の訪問を受けました。まず浄土真宗の住職、次に静岡在住の医師。彼らは運動不足の現役組ですから、桐生の「お子さまコース」を完歩しただけでニコニコ満足顔でした。天狗岩を枕とする私に目には「ういやつじゃ」と映りましたが、その思いは内心に留めました。夜は持参の銘酒とおしゃべり。語り口の中に彼らの仕事と生活の堆積が感じられ、宗教談義も人生談義も聞き飽きません。お互い年をとったけれど関係は年をとらず(心は青年?)、楽しい一夜となりました。

 添付写真は二人目の友人の作(従来からそうです)で、これから数回は桐生の景色が出てきます。

 <補足>
 この記事をアップして三日たって舌足らずを反省しました(よくありますが)。これではトランプや百田の許し難い言説を「失言」のカテゴリーに括っているように見えます。より大きな問題は、彼らの粗末な頭が生み出した「思想の名に値しない社会思想が反民主主義的である」ことと、多数の人がそれを「誤りなく理解したうえで賛意を示している」ことであると私は考えます。トランプや百田には天誅を加えてやりたいけれど、言葉によって立つしかありません。

 石丸伸二が新党を立ち上げるそうです。インフルエンサーとして自信を深めているのでしょう。私には不快なニュースですが彼もまた言葉によって立とうとしているわけです。私たちが考え判断していくしかありません。今回は友人の来訪を除いて楽しくない記事となりました(人名の敬称も省略しました)。次回は宗教について書きます。



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