2024/12/26

259)「風土」を読む

259)「風土」を読む   日本の神は、数え切れないほど存在しているという一事をもっても自らの絶対性を放棄しているようで、キリスト教やユダヤ教の唯一神「ヤハウェ」に比べて迫力や厳格性に乏しく感じられます。だから日本の神は有難味がないとは言いません。むしろ私はそこらじゅうにオワシマス神々に親しみを覚えるし...
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2024/12/14

258)「光州詩片」

258)「光州詩片」  韓国の戒厳令でざわついた気持ちがなかなか収まりません。同様の事態が日本で起きたら、私は向けられた銃口を払いのけ抗議ができるか、仲間の議員に呼びかけて国会に駆けつけられるか、身体をはってそれらの議員を守れるか、毎日街頭に出て大統領罷免を訴え続けられるか。私には到底その自信がないし...
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2024/12/03

257)ビワマスの通い路

257)ビワマスの通い路  ~ 河川保護活動のなかでも「小さな自然再生」ゆうジャンルがあるねん。これは自由研究でいうと理科よりむしろ社会みたいなもんで、「 たったそれだけの事してなんぼの効果がある?」 と科学的な意義を問われたらそれまでのことを、 わざわざやってる感じ。  典型的な実例が野洲市の家棟川で、...
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