2024/12/14

258)「光州詩片」

 韓国の戒厳令でざわついた気持ちがなかなか収まりません。同様の事態が日本で起きたら、私は向けられた銃口を払いのけ抗議ができるか、仲間の議員に呼びかけて国会に駆けつけられるか、身体をはってそれらの議員を守れるか、毎日街頭に出て大統領罷免を訴え続けられるか。私には到底その自信がないし、そんな自分に忸怩たる思いもあります。日本の人はなぜ自国の政府にもっと怒らないのかと金時鐘さんがよく口にされる言葉が思い浮かびます。

 ことの真相はまだ十分に明らかではなく、一部に尹大統領を支援する動きがあるものの、権力の突然の暴走に市民が決然と「待った」をかけた事に違いありません。韓国の近代史は抗日独立運動、済州島四・三事件、朝鮮戦争、民主化闘争など多くの流血で贖われて来ましたが、それらの記憶の堆積が世代を超え共有されてきたことの証しでもあろうと思います。もう一つはノーベル賞作家ハン・ガン氏が指摘するとおりネットによる情報の同時拡散でしょう。

 今回の事態で金時鐘の詩集「光州詩片」を思いました。「私は忘れない。世界が忘れても、この私から忘れさせない。」という強い言葉が冒頭に記されたこの詩集は、クーデターにより軍を掌握した全斗煥が1980年5月、韓国全土に戒厳令を敷き、それに抗議する市民(最大20万人に達した)を銃で抑え込もうとした「光州事件」を動機として編まれました。あとがき(福武書店版)の中で詩人は次のように書いています。

 ~ 圧政に抗して、都市ごと圧しひしがれたおびただしい死者たち。生涯不具をかこつであろう何千人もの負傷者や、あの血の海で生き残った人たちのうちの、一万とも二万とも伝えられる、牢獄につながれた人々の陰にこもった呻き声。思うほどにことばは口ごもってゆくが、それでも私のことばは、日本という安穏な地帯でことばそのものにこと欠きはしないのだ。有って無い私のことばに、私は私に課して服喪した。圧殺された「自由光州」は、ほそぼそとでも吐きつづけねばならない。在日する私のせめてもの呪文であった。~

 そのとき全斗煥は、手兵の特戦空挺部隊に民衆への発砲、無差別攻撃(悪名高い朴正熙大統領さえ行わなかったこと)を命じ、国会を閉鎖、金大中氏を始めとする野党指導者ら多数を逮捕・拘束しました。「北朝鮮と内通して国家秩序の破壊を企図した」容疑です。尹大統領による戒厳令は「芽」のうちに摘み取られましたが、44年の歳月をはさんで出された二つの戒厳令とそこに垣間見える権力者の願望はよく似ています。金大中氏は内乱罪で死刑判決を受け、24年後に無罪が確定しました。

 金大中氏は1998年から2003年まで大統領として国内の民主化に尽くし、北朝鮮に対しては太陽政策を進めました(分断後初の南北首脳会談も実施)。同氏が任期中に日本を訪れた際、私的な食事会に金時鐘さんを招いたことがあります。そこで大統領は、「軟禁生活の中で『光州詩片』を繰り返し読んだ」と詩人に伝えました。詩人は、「光州事件の際、韓国に渡航できない自分として居ても立ってもいられない気持ちに駆られた」と応じました(ちなみに金大中氏はキリスト者としても知られています)。

 大統領の帰国後ほどなく、金時鐘さんは韓国への渡航が可能になったことを知りました(これは金時鐘さんから直接聞いた話で今は差し支えないと思い書きます)。普通の市民にできることが長い間、在日の詩人に望むべくもありませんでした。かくして金さんはやっと済州島への墓参を果たします。お墓は親戚により守られていました。その後、堰を切ったように夫妻で済州島を訪問することとなり、私たちも何度かご一緒しました(このあたりは記事164・個人的なこと3にも書きました)。

 折も折、この11月末から12月初めにかけて金さん夫妻は済州島を訪れていました。金さんと祖国との関わりは決して平板でなかったことから、仮に戒厳令が「成就」していたら、夫妻が日本に戻ってくるのに支障が生じたかも知れません。「何だかすれすれでしたね」と電話したら詩人は笑っていましたけれど。

 自民党は「緊急事態条項」に執着しています。しかし、テロやパンデミックや大規模災害などの対策を憲法改正により行うことは常識的に考え不必要・不適切であるとしか言えません。ゆえに彼らの真意が「政権の望むとおりに市民を統制すること」であるのは間違いないだろうし、それが「大所高所から見て市民の利益にかなう」と彼らが信じているであろうことも想像されます。いや、そうじゃないよと市民の一人である私はつぶやいています。

 最後に「光州詩片」の中の一編の詩を引きます。まことに勝手ながらフレーズの抜粋です。


 冥福を祈るな

 非業の死がおおわれてだけあるのなら
 大地はもはや祖国ではない。
 茂みに迷彩服をひそませ
 蛇の眼をぎろつかせているのもまた
 大地だからだ。
  抉られた喉は
  その土くれのなかでひしゃがっている。

 日が過ぎても花だけがあるのなら
 悼みはもはや花でしかない。
 暗がりに目を据えて
 風景ともない季節を見ているのも
 まだ尽きない母の思いだからだ。
  季節の変わり目のその底で
  蛆にたかられているのは割かれた腹の嬰児の頭蓋だ。

 平穏さだけが秩序であるのなら
 秩序はもはや萎縮でしかない。
 地ひびく無限軌道に目をそらし
 見るともない町並に影を延ばしているのも
 また変わらない日暮れのなかのしずけさだからだ。
  下りるとばりのその奥で
  地を這っているのは押し込まれた呻きだ。

 (中略)

 奈落へ墜ちていった自由なら
 深みは深みのままで悪寒をつのらせているがいい。
 選んだ方途が維新のための暴圧であるなら
 歴史は奈落へ棄ておいた方がいい。
 片輪の祖国に鉄壁を張る
 至上の国権が安保であるなら
 萎える国土の砲塔の上で
 将星は永劫輝いているがいい。

 それでこそふさわしいのだ。
 浮かばれぬ死は
 ただようてこそおびえとなる。
 落ちくぼんだ眼窩に巣食った恨み
 冤鬼となって国をあふれよ。
 記憶される記憶があるかぎり
 ああ記憶があるかぎり
 くつがえしようのない反証は深い記憶のなかのもの。
 閉じる眼のない死者の死だ。
 葬るな人よ、
 冥福を祈るな。






 

 

 

 



いるように思われます。その象徴はやはり光州事件

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