参院選の結果について少し書きます(書きかけては中断していました)。自民敗北は自然の流れであったと思います。もともと有権者の多数は政治権力に対してあまりに寛容(もしくは従順)でしたが、さすがに近年の自公政治に愛想が尽きたのでしょう。モリ、カケ、サクラ、裏金、物価高、米騒動、米追従など罪科はいくらもあります。私は原発推進こそ最大の過ちであると考えていますが、これは選挙の争点にもなりませんでした。
ともかく「自民票」が新しい保守勢力である参政党と国民民主党に流れ、「新規票」のオマケまでつきました。老舗の共産党は振るわず、社民党はもはや絶滅危惧種です。多党化というより右傾化です。私はとくに「左」に肩入れするわけではないけれど、これは日本の民主主義にとってよくない状況だと思います。参政党はSNSを駆使して伸びたと言われますが、実は彼らの主張に共感する人が多かったのが勝因でしょう。
参政党は「占領下で生まれた憲法は認められない」として憲法を一から作り直す「創憲」を主張しています。改憲論者の好む理屈ですが、これは過去に書いたのでここでは繰り返しません(記事117「終了のご挨拶」をご覧くださると幸いです)。
参政党の憲法草案が彼らの政治思想をもっともよく表現していると見て差し支えないでしょう。それは教育勅語のゾンビのような前文から始まり、第1条で「日本は天皇のしらす君民一体の国である」と定義しています。2条も3条も天皇条項です。
第4条は「国は主権を有し、独立して自ら決定する権限を有する」、第5条は「国民の要件は父または母が日本人であり、日本語を母国語とし、日本を大切にする心を有することを基準として法律で定める」となっています。私はこれらをまともに論じる気になりません。いっそ面白いぐらいの内容ですが、参政党の人々は2年をかけて真面目に議論してきたのだそうです。
日本国憲法で定められた法の下の平等、思想・良心の自由、信教の自由、表現の自由、裁判を受ける権利などはあっさり捨てられました。それで大丈夫ですか?とテレビ番組の司会者から聞かれ、草案作りに携わった人は「これまでの判例もあるので問題ありません」と答えました(先日の「羽鳥慎一モーニングショー」)。憲法が変われば前憲法のもとで蓄積された判例は規範力を失うはずですが不思議な意見です。
この党は日本人ファーストを標榜し、「父母のどちらかが日本人であること」を日本人の要件としています。小池都知事の都民ファースト(なんと下劣な言葉!)に対しては「ああそう、わしら滋賀県人だもんね」と返せますが、日本人ファーストとなると、この国で暮らしている人のうちに行き場を失う人が出ます。有名どころでは孫正義、ラモス瑠偉、白鵬、ボビーオロゴン、リーチマイケルなど。参政党は彼らの日本国籍を認めません。力のある人々は不快感を感じるだけで済むでしょうが(それでも申し訳ない!)、生活の不安を実感する人々もいるはずです。
書くだに馬鹿らしい話だし、怒りと怖れも感じます。選挙の翌日、若い衆が「こんな結果になってうちの子ども(自らの幼い子ら)に済まない気持ちだ」とラインを寄こしました。絶望するのは早いぞよと返事しましたが、それは私自身に言ったつもりです。この記事は(例によって)感情的に書いていますから、もっと客観的な別の見方もあるでしょう。「コメント」の受付をやめてしまったので読者の教えを受ける機会が減りました。今回はこれで終ります。
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