2026/07/09

314)「潮来笠」

~ 潮来の伊太郎ちょっと見なれば 薄情そうな渡り鳥 
  それでいいのさあの移り気な 風が吹くまま西東 
  なのにヨー なぜに目に浮く 潮来笠

  田笠の紅緒がちらつくようじゃ 振り分け荷物重かろに
  わけは聞くなと笑って見せる 粋な単衣(ひとえ)の腕まくり
  なのにヨー 後ろ髪ひく 潮来笠

  旅空夜空でいまさら知った 女の胸の底の底
  ここは関宿(せきやど)大利根川へ 人に隠して流す花
  だってヨー あの娘(こ)川下 潮来笠 ~

 あーあの歌ねと思われたあなたはきっと昭和生まれでしょう。今どきの若者から「さすがに昭和生まれの人は気骨がある」と仰ぎ見られる(かもしれない)世代です。昭和35年に橋幸夫が歌って大ヒットしたこの歌の作詞は佐伯孝夫、作曲は吉田正、当時小学生であった私も意味を知らずに口ずさんでいました。

 さて先月、ボランティアで訪問している「にこにこカフェ」のタナカさんから「次はご三家を頼むわなあ」と言われました。来月は橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の曲を歌いたいとのご所望です。そこで私は潮来笠(橋)、修学旅行(舟木)、星のフラメンコ(西郷)の歌詞とコードを調べたのですが、潮来笠がなかなか良いので少し書きます。

 潮来は茨城県の水郷のまち、潮来の伊太郎は清水の次郎長や森の石松とちがって架空の人物です。ちょっと見には薄情そうな渡り鳥(渡世人)で、本人は「それでいいのさ、風まかせの人生だもの」と言い、「しかし潮来笠(のあの娘)が目に浮かぶ」と続けます。主人公のこの秘めた想い(無骨な外見に似合わぬ慕情)が曲の主題で、これは上品で控え目なラブソングなのです(知らなんだー)。

 私は、潮来笠とは三度笠のようなものだと思っていましたが(「てなもんや三度笠」で藤田まことがかぶっていたあの笠)、これは二連目の「田笠」と同じ農作業にかぶる円錐形の笠で、「紅緒」は赤いあごひもです。「傘の紅緒が脳裡にちらつくようでは振り分け荷物が重たいだろう」とは伊太郎の胸中を知る第三者の声でしょう。出だしの「薄情そうな渡り鳥」という形容も同様で、複数の主体が区別されずに次々に物語りするところはまるでヴァージニア・ウルフの小説です(意識の流れ)。

 それでも旅立つのか、という問いかけに「わけは聞くな」と笑って見せながら後ろ髪を引かれる思いの伊太郎です。彼は、時間と距離をおいて「女の胸の底の底」を改めて知るのですが、彼女の胸中がどのようなものであったかはここで語られていません。いま彼は関宿(せきやど)にいて、手折った花を一つそっと川へ投げ入れます。利根川の下流にある潮来のあの娘に届きますよう、、、。ちょいとロマンチックではありませんか。

 ラマンチャのドンキホーテがドゥルシネア姫に一方的な思いを寄せたのと違って、伊太郎と娘は顔見知り以上、恋人未満の関係にあったと推測されます。では二人の関係がそこで終った(らしい)のはなぜでしょう。伊太郎が渡世人であることが一つの理由だとして、娘の事情はまったく語られていません。病気の親がいるのか、庄屋のヒヒおやじに目をつけられているのか、あるいは彼女の気性によるものか。したがって私たちは伊太郎サイドに立ってこの小さな物語を味わうことになります。「男はつらいよ」と似ています。

 ところで、伊太郎が川に流した花はアヤメであったろうと思います。単衣ものを着る季節、川べりにたたずんで半ば無意識に手折った花一輪を目立たぬようにそっと水に投げる情景が浮かびますから、それは何といってもこの花しかありません。そこで、先日の「にこにこカフェ」で潮来笠の伴奏をしたあと(盛り上がりました)、私はクイズを出しました。「伊太郎が投げた花は何だと思いますか?」。

 みんなが遠い目をしかけた途端、タナカさんが「アヤメやろ」と答えました。私は驚いて、ええ、なんで?と問い直すと、「むかし映画で見たもんな」言われて私はずっこけました。なんだそうだったのか。しかし、私もまた正解であったわけです。

 橋幸夫は歌がうまかったと思います。次いで舟木一夫、少し離れて西郷輝彦の順です(私見)。美空ひばりは御三家と離れエベレストのようにそびえています。若い頃の私が軽んじていたこれらの歌手に対する見方が最近はずいぶん変わりました。これは何かへの回帰なのでしょうか。
 次回は「皇室の人数確保」について書きます。腹がたつ話です。




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