この「ケアシリーズ」は、「介護」も「被介護」も人生の当たり前、自然の道筋であると今さらながら思い至り、私の小さな体験を少し遠くから眺めようと書き出しました。もとより手のとどく範囲は限られており更新にも時間を要しましたが、道中で何冊かの本(エヴァ・キテイ、小堀鷗一郎、中井久夫など)に出会ったこと、訪問ケアを仕事とする人々の話を聞けたことの二つは私にとって大きな収穫でした。
最後に少し書き足します。前々回(記事193)で介護士・看護師さんのインタビューを載せました。その中に、「ケアの仕事」につくことがまるで子どもの時から定められていたような人の話がありました。一部を再掲します。
~福祉に携わることとなった原点のような思い出が二つある。小学生の頃、近所に一人ひっそり暮らす顔に傷のあるおじさんがいて、近づかないよう大人から言われていた。(いま思えば傷痍軍人)。なぜか気になって友だちと一緒に行き、話してみたら優しい普通の人だった。
もう一つは中学の夏休み、近所の特別養護老人ホームで『実習』をさせてもらった。認知症のおばあさんの話し相手や爪切りをしたが、やがて「ミカンをむいて」と言われた。その通りにしたが、おばあさんはじっと見るばかり。ふと思いついてミカンを割って小さな房にしたら、おばあさんは美味しそうに食べ始めた。その時、自分が何かに気づいた気がした。~
この思い出の主(Aさん)は、母をお世話いただいた訪問介護事業所のスタッフですが、自分は小さい時から人と接することが好きで、困っている人を見るとほっておけない気持ちにかられたと語っています。「傷痍軍人」は先の戦争で負傷し、国の支援では生活できないため街頭で募金活動をしていた人々。多くは手や足を失った白衣姿でアコーディオンで軍歌を弾いていました。幼い頃の私には得体のしれぬ恐ろしい存在でしたが、やがてその姿を目にしなくなりました。
私よりふた回りほど年少であると推測されるAさんが「傷痍軍人」に出会ったとすれば、彼女の育った地方には戦時色が比較的ながく残っていたのかも知れません。ともあれAさんには、顔に傷があってひっそり暮らすおじさんに接近したいという気持ちが芽生えたわけです(近づくなという大人の制止が逆に子どもの好奇心を刺激したという側面があったにせよ)。
またAさんは、中学の夏休みの自主学習として老人ホームでの「ケア実習」を思い立ち実行に移します(いまの時代では無理でしょう)。そしてミカンを小さく割るという工夫でおばあさんと回路を通じました。これらの逸話から私は、「開かれた心」と「共感の力」を、未だそうと知らずに身にそなえていた子どもの像を思い浮かべます。その地点から今のAさんまで一直線です。こうしたAさんの資質は生まれついてのものではなかったかと想像します。
話が飛びますが、私がよく読んだ宮沢賢治や太宰治(ともに貧しかった時代の東北に生まれ、富裕な生家を「十字架」と感じた)は、世間の人と同じように周囲の環境を受けつつ成長しました。しかし、その作品や周辺資料を読むと、彼らが物心ついた時にすでに備わっていた資質(いわゆる感性、考え方の特質、人生への態度などの萌芽)によって早期に生き方を方向づけられたことが明白です。彼らが強者の側に立たなかったのは、思想である以前に「資質として立ちえなかった」のであろうと思うのです。
「三つ子の魂百まで」どころか私は「0才児の魂」があると考えます。例によって調べ物をせず実感だけで書いていますが、「人は経験よりDNAにより決定づけられる」というのが私の意見です。これは経験や学習がムダであるという意味ではなく、それらを自己のものに内面化する過程が、その人の持って生まれた資質の大きな影響を受けるというアプリオリの見方です。あまり強調すると、「人生の分かれ道でどちらに進むか前もって定められている」という宿命論になってしまいますけれど。
本題にもどって「職業的にケアに向いた資質」とはどのようなものでしょうか。それはやはり「人のことを自分のことにように考えられる(つい考えてしまう)基本的態度」であり、これは対人支援サービス全般について言えると思います。もちろんこれだけで「ケア=被依存」を担うことはできず客観視と相対化の力も要求されますが、ベースにあるのは「共感の姿勢」であると考えます。
最近、保育園での虐待が報じられています。マスコミは伝えたいことだけを伝える、世間が反発しそうなことは真実であっても伝えないと私は体験的に知っていますから、この虐待報道を鵜呑みにはしませんが、話半分としてもひどい出来事です。保育士たちが疲弊していたことはおそらく事実でしょうが、そのことと行為との間に距離がありすぎる気がします。「共感の姿勢」の不足する職員の割合の多い職場ではなかったかと私は思います。
まえに「ケアの手の温かさ」と書きました。情緒的なこの言葉を多少整理して全体の「まとめ」に代えようとしたものの、まとまりがつかなくなってしまいました。ときに世の中それどころではありません。政府は、将来世代にわたる国民の安全と財産を担保に入れて軍備を増強し、まだ売られていない喧嘩の輪に加わろうとしています。しかも議論の中心はことの是非ではなく「担保の入れ方」です。安倍もひどいが岸田もひどい。政権を担う人々は、少なくともまず各自のひ孫の分までの資産を担保にいれるべきだと思います。
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