1966年に静岡県の味噌製造会社の専務一家4人を殺害したという強盗殺人罪に問われ、死刑が確定していた袴田巌さんの無罪が決まりました。事件から58年、死刑確定から44年、2度にわたる再審請求を経て本年9月に静岡地裁が再審無罪を言い渡したことに対して、このほど検察が控訴を断念して無罪判決が確定したものです。
10月8日、畝本直美・検事総長が表明したコメントをあけすけに言うと、「再審無罪の判決は問題だらけで承服できない。だから検察として控訴するのがスジだ。しかし袴田さんは長い間宙ぶらりんの状態を強いられ既に高齢だ。そこを酌量して百歩譲るとしよう。この温情を有難く思え。」となります。58年間にわたり死刑を求め続けてきた検察として「間違っていました、ごめんなさい」とは言えないのでしょう。
それでも検事総長は最後に、長い年月がかかったことについて遺憾の意を述べました。続いて10月9日に静岡県警の本部長が、やはり年月がかかったことを謝罪し、一方で証拠捏造については「答える立場にない」と言いました。検察、警察ともに「時間がかかったこと」に関してのみ反省を示しました。ちなみに確定死刑囚の再審無罪はこれで戦後5件目ですべて検察が控訴することなく無罪が確定しています。
いま一度考えてみましょう。裁判所が三審制を敷いて検察と弁護側の主張や証拠を慎重に検討・考量し、疑わしきは罰せずという原則に従って下す判決は限りなく重いものです。それが簡単にひっくり返っては司法制度が揺らぎます。その確定判決を司法自身が見直そうとするわけですから「再審は余程のこと」です。この究極の念押しである再審において確定死刑囚が無罪とされたことを検察、警察はもちろん裁判所自身も真摯に受け止めなければなりません。
この事件については前の記事「シャツのみそ漬け」を再度ご覧ください。とんでもない「でっちあげ」です。当時、静岡地裁は裁判官の意見が分かれたものの求刑通り死刑判決を出し、それが最高裁まで引き継がれました。冒頭に記したとおり本年9月の再審判決で静岡地裁は、捜査機関による自白強要(非人道的な取調べ)と証拠捏造(5点の衣類に血痕の付着させ味噌タンクに投入)を明確に認定しました。
私はこの同時代の事件は冤罪だろうと思っていました。1966年の逮捕以来、袴田さんは私の人生の大半と重なる58年間を死刑台の手前で過ごしてきました。私が読んだ裁判の記録や関係資料はどれも袴田さんの「無実」と捜査機関による証拠の「捏造」を明確に示しています。そして今回の法的決着により冤罪が証明されました。「公」の犯罪が認定されたに等しいことです。
袴田さんは1981年の第一次再審請求からずっと「再審請求中」でしたが、その中でもオウムの教団幹部の例のように死刑執行はあり得るし、死刑の告知は当日の朝ですから、実際に袴田さんは2014年に釈放されるまでの少なくとも48年間、「今日が最後か」と思いつつ鉄格子のなかで暮らしました。本当にむごい話です。それを強いたのはこの国の司法です。
「一度冤罪に陥れられたならば出口はないのだろうか」、「死刑囚とは一日二十四時間そのすべての時間にわたって死を意識して暮らすのが普通です」と袴田さんは姉への手紙に書いています。1984年、彼は東京拘置所内でキリスト教の洗礼を受けました。晴れて無罪の身となった今後において「解放後の苦悩」が生じるかもしれません。同時代の人間の一人として私は、袴田さんが心安らかに過ごされるよう思わずにいられません。
この件で司法は「お咎めなし」でしょうか。繰り返しますが警察と検察は無実の人を意図的に犯人に仕立て上げて死刑を求刑し、その人生を取り返しのつかないほど棄損したのです(しかも真犯人を取り逃がした)。裁判所は袴田さんの悲痛な訴えに耳を貸さず、弁護側の実証実験や専門家の知見を軽視し、1980年の最高裁での死刑確定から起算して44年間にわたり検察寄りの判断を維持しました。しかし各機関の代表者から「時間がかかって悪かったね」という挨拶しかありません。
法的な救済策として国家賠償請求がありますが、報道によると弁護団は刑事補償請求を行う予定のようです。また国と静岡県に対して損害賠償請求を行う見込みであるとも言われています。それはもちろん大いにやるべきだと思います。しかし最終決着までにはなお時間がかかるだろうし、仮に決着しても袴田さんの58年は戻って来ません。「とりかえしがつかない」とはこういう事を指すのでしょう。
かと言って何もなしで済ませることは出来ません。制度的な救済策に加え、私は、袴田さんをこの状況に至らしめた警察、検察、裁判所の関係者(直接担当した存命者および各機関の長)に一人ずつ反省文を書かせ袴田さんに提出させるべきだと思います。内容の公表まで求めません。それが本件に関係した組織と人間の最低限の責任の取り方です。第三者が好き勝手なことを言うようですが、それ以外の方法を私は思いつきません。
私も「公」の一端で仕事をした経験から組織の建前や面子をどうでもよいことと思っておらず、また組織の正義と構成員の正義が必ずしも一致しない現実を知っています。しかし、公の組織の妥当性を担保するのは、法令以外には「個々の構成員」でしかありえないでしょう。まずは司法部門においてこのような冤罪を繰り返さないため、再審の法整備(証拠の全部提示と手続きの明確化)を行うと共に、職員一人ひとりが我が事として自省することが重要であると思います。
袴田事件では事実関係が争われましたが、記憶に新しい京都アニメーション放火殺人事件では犯行の事実が明らかです。青葉真司被告は自分の行為を認め、本年1月、京都地裁は死刑判決を下しました。36人もの殺害ですから「量刑相場」に照らすと死刑判決は理解できます(私はこれまで述べた通り死刑に反対です)。事件の起きた5年前に私は京都市南部にいて、異常な数の救急車と消防車が南へ走っていくのを不安に感じたことを思い出します。弁護団は被告に責任能力がなかったとして控訴しています。
国家による究極の暴力行使に「戦争」と「死刑」があります。前者は基本的に国外の集団を、後者は国内の個人を対象としており、その是非を判断する法的な枠組みも異なりますが「国が人を殺す」という点は同じです。そしていま日本は戦争を手繰り寄せつつあるように見え、一方で海外の流血になすすべがありません。また、OECD加盟38か国のうち死刑を行っているのは日本と米国だけです。ショパンを聴きつつこれを書いている安穏な私に重い事柄を論じる資格があるかどうか知りませんが、ともかく国が人を殺してはならないと強く思うのです。
話は変わって兵庫県知事を失職した斎藤元彦氏についてひと言。私は報道を鵜呑みにできないと身に染みて知っていますが、斎藤氏自身が認めている事実の範囲においても同氏は知事として不適格です(前の大津市長・越直美氏と非常に似通った資質を感じます。越氏がテレビ番組で斎藤氏に関する意見を述べていたのには仰天しました)。斎藤氏のパワハラ・おねだり疑惑も問題ですが、公益通報を行った職員を探し出して懲戒処分を与えたことが最大の過ちであったと思います。同氏の自我の肥大化と保身の欲求が背景にあったのでしょう。
知事を支えられなかったと泣いて辞職した片山安孝副知事にも問題があります。涙は亡くなった二人の職員のために流されるべきものだと部外者の私は思いますが、「知事の苦境は副知事の責任」というのが片山氏の考え方なのでしょう。確かに知事をめぐって県庁内に生じている混乱について副知事には職員として最大の責任があります。また、うがった見方をすれば副知事は、知事と職員の距離の大きさを自分のパワーに転化していたかも知れません。ともあれ片山氏も公益通報への対応を誤ったようです。
知事選に出馬すると表明した斎藤氏が、自分には「即戦力」があるとアピールしています。何をか言わんや。
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