2024/10/19

251)閲覧御礼

 「大津通信」の閲覧回数が47万回を超えました。キリのよい50万回はずっと先ですから、ここでいったん節目のご挨拶を申し上げます。初めは大津市政について、途中から「公に関わること」にテーマを広げ思うところを綴ってきましたが、かくも地味な話題と冗長な文章にお付き合い下さっている皆様には感謝の言葉しかありません。どうもありがとうございます。

 2015年のブログ開始時はメディアや議会に取り上げられ私自身が驚くほど多数の方に読まれましたが、4年の休止を挟んで2019年に再開してから二百~三百人、越市政への論評を終えてからは漸減して今は数十人に落ち着きました。この数十人の方々が「ご常連のお客さま」で、大半は大津市関係者(職員、議員、住民の方々)だと思われます。あとは私の友人たちで時々メールで感想を寄せてくれたり掲載用の写真をくれたり。応援ありがとうございます。

 SNSの弊害が気になるものの、私ごとき個人が発する言葉(畏れ多くも兼好法師に倣えば「つれづれなるままに書きつけたる心にうつりゆくよしなしごと」)が数十人の方に届くわけですからブログは他に代えがたい手段です。今は読者コメントを受け付けておらず一方通行ですが、私の希少な社会との回路です。おいしいラーメン店の話などはいざ知らず、例えば原発について私の考えを数十人にお伝えできることは(その方の評価は別に)有難いことです。

 さきごろ公益通報を行った兵庫県職員が「死をもって抗議する」と言い遺し亡くなられました。痛ましい限りです。私にはとても他人事と思えません。このブログも「公益通報」として始めた経緯があります。すでに書いたとおり私は2012年に大津市長となった越直美氏のもとで副市長を務めましたが、市政運営をめぐって市長と意見が大きく対立し僅か2年で辞めることとなりました。

 市民と職員のために戦って力およばず去るのだと私は考えていましたから、職員仲間を「人質」として市役所に残すような気持ちでした。表向きに「一身上の都合」としたのは、事を荒立て「犯人」を刺激すると「人質」に不利益が及ぶと思ったためです。辞めるついでに真相をぶちまけて欲しいと私に期待する市会議員が複数おられ、穏便に辞めたことに対して後に私は婉曲な抗議を受けることとなりました。

 市長にしてみれば「自分は市民に選ばれ仕事をしている。その市長を支えるのが副市長の使命だ。副市長が自分の考えを押し通そうとするなどもってのほか。代わりはいくらもいる。」との思いだったでしょう。一方、私は「真に市民のためになるよう市長が働くのを支えること」が使命であると考えていました。

 ある組織が大きな問題を抱えている場合、その構成員にはまず当該問題の改善に努力することが求められますが、それが到底無理なら外部通報もアリです(初期消火のように)。役所も同じですが、首長が不正義(不適正)を頑として改めない場合、副知事や副市長は本人に次ぐ責任がありますから「通報者」ではなく「被通報者」の立場にいます。どうしても首長を正せなければ自分が辞めるしかありません。

 さて私は2014年5月に市役所を辞めた後も越市政を注視していましたが、2015年8月に本ブログを始めました。その際「事実によること」と「礼節をたもつこと」を肝に銘じました。この時には5か月で終了しましたが、多数の方々に参画いただき一時的にせよ「市政情報の広場」が出現したと思います。特に最終回(同年12月31日)は多数のコメントを頂きました。

 終了から4年たった2019年10月ブログを再開しましたが、越市政の諸問題が2期目に入って顕在化したこと、その一つである「公文書等にかかる裁判」が進行していたことが動機となっています。越氏が2020年1月の市長選に出馬しなかったのは、さすがに同氏自身もこうした状況をマズいと察知されたからだと想像します(ご本人の説明はこれと違います)。裁判には私も越氏も出廷して証言台に立ち、市の敗訴で終了しました。

 2023年7月、ブログの一部(越市政を論じた開始後4か月分の記事すべて)が閲覧できなくなっていることが判り、すぐ友人の助けを借りて復元するとともにコピー保存を行いました(「読めなくしたのは誰?」)。人為によることは明白ですが犯人は分かりません。この一件で「大津通信」をずっと残すと決めました。ある時期における大津市政の証言たりうると考えています。

 いま「公」について書こうとして自分の力不足を痛感します。このテーマこそ読者コメントを頂きたいけれど、それは人の意見を咀嚼して自分の思考を練る過程を公開する「実演」でもあって、やはり私には簡単ではありません。そこで皆さまのご意見やご助言についてはぜひメールで頂戴したく思います。個人通信なら私も質問したり勉強する余地がありそうです。ご協力をお願いいたします。

 私は唯一最良の話し相手を失いましたから自分の言葉が問い返されることなく内部にたまっていきます。よい息子夫婦と友人がいるものの日常は独白の世界です。こうした状況において書くことは、なんと言いますか、私にささやかな力と秩序を与えてくれます。ブログを続けるよう彼女が言ったのはこれが分かっていたのでしょう。まずは50万回をめざすとします。

 私は速度のある簡潔な(時に辛辣な)文章が好きですが、ブログは今の文体に落ち着いてしまいました。一方で書くことの難しさ、すなわち漢字とカナがあり文末が定型化しやすい日本語で表現することの困難を常に感じています(といって英語で書けないけれど)。長い読者はすべてお見通しですから私は力まずにぼつぼつ綴っていこうと思います。桐生のこと等も書くつもりです。皆さまには今後ともよろしくお願い申し上げます。






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