自民単独でも公明党を足しても過半数を割りました。いつも寛容な有権者が、数に恃んで国会をないがしろにする自公政権に対し、もういい加減にせよと言いました。石破氏にも失望か。私も同感です。これで嬉しいとまで言いませんが逆の結果だったら深く失望したはずです。右にウィングを広げた立民が受け皿になったのは確かでしょう。政策を幅広く議論していく上で社民、共産にもう少し伸びて欲しかったところです。ハギウダ氏はゾンビのようです。
はやくも政治の流動化、不安定化を懸念する声が上がっていますが「悪く安定」するより望みがあります。政治がよくなる外的条件がちょっぴり整ったと考えます。国内は課題山積だし対外関係はきな臭くなる一方で明るい未来を予測しにくいけれど、与野党を問わず当選した議員には今の気持ちを忘れず(忘れっぽいから)、国民のために働いてもらいたいと思います。さあ、いよいよこれからです。
話は変わって京都シネマで「拳と祈り」が上映されています。10月27日には笠井千晶監督の挨拶もあると知って重い腰を上げました。桐生散策の他は平和堂(はずむ心のお買い物)とアヤハディオ(愛の暮らしのお手伝い)に出かける程度、頑張って図書館、歴史博物館どまりの暮らしで出不精になりましたが、袴田巌さんのドキュメンタリーとなれば話は別です。駆けつけて観た感想を少々。映像の力を感じさせる秀作でした。
濡れ衣で死刑判決をうけた袴田さんが再審決定により48年ぶりに釈放され、その10年後の2014年9月に無罪が確定したことは既に書きました(221・シャツの味噌漬け、250・「公」の犯罪)。この冤罪事件がまだ世に知られていなかった2002年、静岡のテレビ局の報道記者だった笠井監督は、袴田さんが獄中で書いた手紙を読んである種の衝撃を受けました。家族の健康を気遣う書きぶりがあまりに「普通」であったというのです(袴田さんが獄中から家族や支援者に出した手紙は1万通)。
手紙の実物を見たいと思った笠井監督は受取人である姉・秀子さんの家を訪ね、交流が始まりました。秀子さんの話を聞き、他の手紙を読み、裁判記録その他を調べて無罪を信じた笠井監督はカメラを回し始めました。私の想像ですが、死刑囚の姉である秀子さんにとって記録されることは社会とつながることであり、弟・巌さんの生還にもつながる道だと感じられたのでしょう。かたや笠井監督は秀子さんの人となりに感銘を受けたよし。二人が「人と人」の関りを持ちえたことが映像から分かります。幸せな出会いというのでしょう。
秀子さんは若くに離婚してからずっと一人暮らしです(映画パンフレットより)。経理の事務員として働きながらこつこつとお金をため、死刑囚の弟に面会・差し入れをするため静岡から東京拘置所に通い続けました。巌さんが洗礼を受けたいと言った時、「そりゃあええなあ」と背中を押したそうです。カメラはこうした様子も捉えます。やがて巌さんに拘禁反応が強まり、秀子さんの面会を拒否することも出てきました(映画の中には取調べ時の尋問(恫喝)の音声も流されます)。
2014年、ついに再審決定の知らせを受けた秀子さんは、吉報を弟に届けるため支援集会の場から東京に向かいます(決定は本人に伝えられない模様)。これに撮影クルーが同行しましたが誰も予期せぬ「即日釈放」となったため、ワゴン車は48年ぶりに娑婆に出た巌さんと秀子さんを乗せ、東京拘置所からあてどなく出発します。何とか見つけた都内のホテルの一室でベッドに横たわる巌さんの様子。見つめる秀子さんの顔。次の朝、二人で窓から見下ろした東京湾の景色。カメラは「家族の距離」から一部始終を捉えています。
長く住み込みで働いていた秀子さんは、いつと分からぬ弟の帰還に備え二人で住むマンションを浜松市に確保していました。そこで始まった姉弟の静かな暮らしも描かれています。室内を止まることなく歩き続ける弟。「朝5時から夕方6時まで13時間も歩きっぱなしだよ、ははは。」と明るく笑って見ている姉。味噌汁、煮物、フルーツなどを黙々と平らげ、「饅頭かアンパンが貰いたいです」という弟。笑顔で応じる姉。
巌さんはやがて外出できるようになり、最初は姉と、慣れてからは一人で町なかを歩きます。秀子さんにお金をもらい帽子を忘れないよう念を押されて出発。「いまはチップの世の中だ」と笠井監督に語る巌さんは100円玉を10枚持っており、植木鉢の中に置いたり道行く親子づれに手渡したり。行きつけの店でドーナツを買って1万円を出し「つりはいらん」と言って店員を慌てさせたりもします。
事件が起きた「こがね味噌」に勤める前の一時期にプロボクサーであった袴田さんは、拘置所でボクシング評論家の郡司信夫氏の面会をうけ、それが縁となって日本プロボクシング協会関係者にも支援の輪が広がった経緯も明かされています。また奇しくも「袴田事件」の同年同月にアメリカで起きた殺人事件の容疑者として逮捕され、後に無罪が証明されたボクサー「ハリケーン・カーター」と袴田さんが共に相手の存在を知り、互いの釈放を祈っていたことも語られます。
映画のハイライトの一つは、かつて静岡地裁の裁判官で第1審の死刑判決を書いた熊本典道氏との姉弟の面会です。熊本氏は明らかに無罪だと考えていましたが、その意見は裁判官の合議で否定されました。死刑宣告が熊本氏を苦しめ、その人生を大きく変えることとなりました。彼は袴田さんとの面会を希望し続けましたが叶わず、高齢で重い病をえて病院のベッドに横たわっているところに巌さんと秀子さんの面会を受けます。
巌さんは一審の熊本さんだと理解しておりその顔を覗き込みました。熊本さん頑張ってね、大事にしてくださいよと秀子さん。目を見開いて声を絞り出す熊本さん。「こんなええ裁判官の人はおらんよ、ほんに」と秀子さんは撮影スタッフに語りかけます。一審判決から半世紀が過ぎての再会でした。
ネタばれになってしまいましたが以上はごく一部です。挨拶の中で監督は、拘禁反応は確かにあるものの袴田さんは認識も意志もしっかりしており十分に意思疎通ができると指摘しました。彼は、自分は神であると考えていますが、この映画をみると監督の言葉に間違いはありません。半世紀をこえてぎりぎりと締め上げられていたネジが僅かずつほどけていくような巌さんの日々です。
秀子さんは「精神科には診せんよ。自由が一番やわ。自由が一番。巌は何でも好きなようにすりゃあええ。」と語っています。弟の手を握り締めて離さず、60年の歳月をかけて暗い穴から光のなかに引っ張り上げた秀子さん。彼女は働き、面会し、法廷に立ち、支援者と交わり、世間に訴え、取り戻した弟と暮らし、常に笑顔を絶やさず生きてきました。人というものがこれほど強く素晴らしくなれるものかと感嘆せずにいられません。
人を救うという点において、救うための方法と救った人の人数はまったく違うけれど、秀子さんはマザーテレサと並べられるのではないかさえ私は思っています。そして袴田巌さんもまた自分自身を救ったという点で稀有の人です。弁護団や支援者のサポートは本当に頭が下がりますが、この姉弟あっての人々の輪であったと思います。その中にカメラを抱えて加わったのが笠井千晶監督です。袴田さんが笠井さんに向き合う際の安心しきった柔和な表情が印象に残りました。
映画は京都シネマで11月14日までやっています。よろしければお運びくださいますよう。その後は全国を順々に回るようです。
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