斎藤知事の天敵・ビワマスの守護神であるO君が電話をよこし「ひとつ聞きたいねんけどココロザシと書く方の『志賀』てどこや知ってるか?」と言います。「うん、むかしの滋賀村、いまの錦織、近江神宮、滋賀里のあたりだと思うよ。」と私。「やっぱりその辺か。実はな、蕪村が『瀬田降りて 志賀の夕日や あめのうお』ちゅう句を詠んではる。あめのうおはビワマスや。もしこれが心象風景でなかったら蕪村はどっからこの景色を見た思う?」
私はO君の電話で「瀬田降て 志賀の夕日や 江鮭」という句を知りました。かたや瀬田の雨空、こなた志賀の夕焼け空、二つの空をビワマスの体色(婚姻色)である鮮やかな青銅色と緋色の対比で表現した蕪村らしい絵画的な句です。「夕照」で知られる瀬田に雨がふり、かわりに志賀はあかね空です。志賀は「ささなみや 志賀の都は荒れにしを 昔ながらの 山桜かな」と詠まれた地です(昔ながらのながらは長等山のながらに掛けられています、ついでながら)。
もう一つおまけに、この歌の作者、平忠度(ただのり)は薩摩守に任ぜられていたことから昔は無賃乗車(ただのり)のことを薩摩守といいました。
ところで私は、蕪村は草津か守山あたりでこの句を得ただろうと考えます。瀬田は大津南部、志賀は大津中部にあって相互に見通しがききません。琵琶湖に沿ったこれら二地域を等分に視野に入れる(というより鑑賞する)のに適した場所は琵琶湖の反対側です。「対岸の景色」の一例に近江八景「矢橋帰帆」があります。これは、仕事を終えて夕陽に照らされつつ草津の母港に帰って行く帆舟を大津の岸辺から見送った景色であり、ゆえに近江八景はすべて大津のものであると私は思っています。蕪村は逆方向から大津を眺めました。
この話をするとO君から返事のメールが来ました。「そうやねん、対岸というのが、 いちばん可能性が高いと俺も思うた。それで江鮭をそこに持って来ても『それ、何やねん?』にならへんくらいみんな知ってはったちゅうことや。にもかかわらずや。ビワマスの学名が今年になってやっとついた。 これがおもしろいとこやなあ。学名つけはった藤岡さんとは、 今日もたまたま川で出会うたくらいで、 自分のすぐそこにいはる人というのも、おもしろいわ。この前、西浅井のビワマス観察会に行ったら嘉田由紀子がおってん。その時も琵琶湖愛とかビワマス愛とか口にしとったけど、 そしたら何で自分が知事の間にビワマス研究に金を注ぎ込まんかったん かい!と思うたわ。」
前回記事「湖都の秋」で大津と草津は湖をはさんで眺め合ってきたと書きましたが、こうして蕪村とO君の賛同を得ることになりました。大津は「大きな港」の意味ですから草津は「草深い港」ぐらいでしょうか?。両市とも「湖都」ですが、人々の日常生活と湖の距離(親水性)においてやはり私は大津に軍配を上げたくなります。草津暮らしにすっかり馴染みましたが、たまに大津に行って心を動かされるのはやはり琵琶湖と街がとけあった景色です。
さて「大津絵」の続きを書きたいと思います。カメラと聴診器を交互に首から下げるT君は、私が冷や汗をかいて入手した大津絵図録を贈呈したことを多とし、その最終ページまで目を通したうえ次のメールをくれました。大津絵と大津市歴史博物館への好意にあふれる彼の文章をそのまま転載したいけれど、あまり引用だらけ(他人のふんどし)になるので私なりの要約を書きます。
<T君のメール要旨>
・大津絵を買った旅人が帰宅し、旅の思い出としてそれを家の壁に貼っている情景が想像される。当時はまだ貴重だった鮮やかな一枚の彩色画が、その周囲の江戸期の庶民の生活のつましさを浮き立たせるような情景である。
・たとえば「藤娘」の絵は、昭和の時代に集団就職した若い女性らが狭い相部屋の壁に画鋲で止めている「平凡」 から切り抜いたスター写真を想起させる。実際は知りもしない自分の脳内で創り上げられたイメージではあるけれど。
・大津絵は今後をどのように生きていくか。 何によらず深い愛好者はいるけれどより広い支持を得るため、 守るべき形式を更にそぎ落とし自由闊達な表現方法として脱皮する 、キャラクター性を前面に押し出すという方向性はどうだろう。また、NHK『美の壷』で取り上げてもらうとか。
<T君が提案する歴史博物館のショップ商品>
① 「雷公太鼓釣り」⇒ カラー図柄の中サイズ縦型トートバッグ、
② 「鬼念仏」⇒ 神経衰弱カードゲーム( 鬼念仏には特徴的なアイテムが複数ある、 5種類に5つのバリエーションを画けば25種類、 2枚一組で50枚、トランプ同等の枚数であり、 描き分け次第で容易にも難しくもチューニング可能)、
③ 「鬼念仏」⇒ ピンバッジ(公務出張の職員でもスーツのラペルに刺せる程度のサイズと上品さが必要)、
④ 「猫と鼠の酒盛り」⇒ 飲酒運転防止の自動車用ステッカー、
⑤ 「鬼の行水」⇒ 温泉施設に「入浴前にはかけ湯をしましょう 大津市」のポスター
以上がメール要旨で鋭いばかりでなくとても親身な意見です。まったくT君には静岡から大津に移住してもらいたいほど。歴史博物館と観光物産担当課がコラボして商品化を検討してほしいと私は願います。T君はアイディア料を要求するような人ではありません(たぶん)。次回は高市発言について書きます。

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