能楽の「番外」は演目にない能の一場面を演者が装束なしの直面(ひためん)で舞うものでいわば「おまけ」ですが、一流選手のエキシビションのような見ごたえがあります。しかし私の「番外」はタイトルが示すとおりこれとは大違いです。
かりに「大津通信」に社会的な意味があったとして、それは「ニアリーイコールゼロ」ですが、この小さなブログは私にとって社会の窓であり、時に日記です。それは分かち合う人の不在ゆえでもありますが、ここはいちおう「家の外」であって、喜怒哀楽をストレートに表す場ではないと心得ています。
信仰について書く場合、それに引き寄せられる私の心情から出発すべきだと思うのですが、飼い猫の溜め息に思わずもらい泣きすることなど書くわけにいきません(書いてしまったけれど)。それやこれやで私は頭で書こうとしており、心の錘を失って言葉が浮いてしまいがちです。前回の記事でそれを改めて自覚しました。
とはいえ大多数の人々と同じように、私はこの社会が明日も続いていくこと(幸いの分配が均等に進む方向で)を願っており、そのための意見表明のつもりで記事を書いています。ふーん、こんなことを考えるやつもいるのか、と一人の方に読み捨てられるだけで幸いです。ミジンコが滝を上るのは無理としても、繊毛で水流が発生するかも知れません。

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