毎日、深い穴の底から天をあおぐ気分です。憤りと不安の持っていき場がありません。いまも続くウクライナやガザの流血が遠ざかり、トマホークに奪われたイランの小学生の命さえ後景に退いて原油価格と株価ばかりが報じられます。「南海トラフ」に先んじてまたぞろ東北を地震が襲い、山火事まで発生しました。TVニュースの合間に奈良の「笑う鉄仮面」が登場します。京都では息子を遺棄した容疑で父が逮捕されました。この世は末法に入ったようです。
「りくりゅうペア」は引退したけれど「ドナさなペア」は意気さかんです。トランプは「下級国民の王」として選ばれたという見方を紹介しましたが(記事307・なぜ悪人が上に立つのか?)、これは卓見であると思います。利己的・独善的で計算高く、しかも感情に支配されやすい人間が絶大な権力をもつとこれだけの悪事をなしうるという実例を私たちは日々、見ています。その結果である社会の分断の激化とあわせて。
米大統領の忠僕である高市首相も日を追ってトランプ化しています(もともと素質もあった)。わが国の武器禁輸の原則は冷戦時代の遺産であると見なし、これに「風穴」を開けようとしたのが2014年・安倍政権の「5類型」でしたが、高市氏はこれすら廃して殺傷武器の輸出解禁に踏み出しました。数十年の外交方針の議論なき転換です。首相は「国際環境の変化に対応するため」と言うけれど打つ手が逆ではありませんか。これは破れながらも辛うじてぶら下がっていた「平和国旗」の損壊罪にあたります。
まだあります。台湾有事発言とその後の無策、憲法や皇室典範の改変、議員定数削減やスパイ防止法案等々、いずれも「国論を二分する」ような政策に向き合う高市氏の姿勢はきわめて粗暴で強権的です。この邪悪な力を同氏に与えたのは他ならぬ国民ですから彼女を「下級国民の女王」と呼びたいけれど控えておきます(そもそも私自身が上級国民ではありません)。しかし高市内閣への監視は続けなくてはなりません。
先日、高市氏の好戦的な改憲姿勢に抗議する国会前デモがありました。NHKがこれを放映しようとし、オンエア直前に上層部がストップをかけたことを朝日新聞が報じました。NHKらしい話です。私は「オールドメディア」しか見ないので、しばらくデモのことを知りませんでした(「#ママ戦争をとめてくるわ」も遅れて知りました)。今や外交手段にまでなっているSNSに私はなかなかついて行けません。
さて、前回記事で宗教界の悪口を書いた後、藤山みどり氏の著書「臨床宗教師」(高文研・2020年)を読んで少し反省しました。以下、この本から引用します。
2011年の東日本大震災の際、儀式も読経もできず火葬する遺体が多数に上りました(身元不明、家族も大変、菩提寺の被災などの理由)。そこで震災から4日目、仙台市の浄土宗愚鈍院の中村瑞貴住職が市営斎場に読経ボランティアを申し出たのです。宗教の自由に関わるため斎場側は断りましたが、中村氏は粘り、仙台仏教会が入ってルールを決めたうえ火葬場での読経ボランティアが実現しました。
すでに「被災者支援ネットワーク(東北ヘルプ)」を立ち上げていた仙台キリスト教連合がここに加わり、ついで全宗派による「宮城県宗教法人連絡協議会」が乗り出しました。かくて一住職のやむにやまれぬ思いは短期間に組織化され、弔いに限らず被災者の心のケアや宗教相談にも応じる「心の相談室」へと発展しました。ネットワークは「仙台いのちの電話」、「反貧困みやぎネットワーク」、「仙台ターミナルケアを考える会」へも広がりました。
この本が伝える読経や各種相談にまつわるエピソードは、15年後のいま読んでも胸に迫るものがあります。被災者は大いに救われたであろうし、ケアをする側にも大切な体験であったと思います。私は「葬式仏教」を揶揄ではなく宗教の大切な一面を表す言葉だと考えていますが、東北の仏教会をはじめとする各宗教団体は、震災に際して間を置かず重要な使命を果たされたことを改めて認識しました。
「心の相談室」には多様な主体が関わるため、緩和ケア医の岡部健氏の主導により米国の「プロチャプレン協会」の倫理綱領をもとにした活動のルールが定められました(守秘義務、政教分離、布教の禁止、ケア対象者の意向尊重など)。チャプレン(chaplain)はキリスト教の聖職者ですが、より広くは心のケアや宗教的サポートを行う専門家の呼称であり、「心の相談室」によって「臨床宗教師」という訳語があてられました。
また、世界教会協議会(WCC)から資金提供を受けて東北大学に「実践宗教学寄附講座」が開設され、主任教授の鈴木岩弓氏が「心の相談室」の事務局を担うこととなりました。この講座では学生・院生への授業の他に、宗教者に対して「臨床宗教師研修」を開始しました。研修目的は「傾聴とスピリチュアルケアの能力向上」、「宗教間対話と宗教協力の能力向上」、「宗教者以外の諸機関との連携方法の学習」、「幅広い宗教的ケアの提供方法の学習」です。
参加者は首都圏、近畿圏など広範囲におよび、伝統仏教以外に新宗教、キリスト教、イスラム教までがそろいました。2014年、NHKが特別番組を組んでこの取組を紹介しました(NHKはいいこともするんや!)。そして2018年には「臨床宗教師資格認定制度」がスタート。いま臨床宗教師は、被災地以外に病院やホスピス、障害者施設や高齢者施設で活動しています。
ここから私の感想です。
誕生から日が浅いうえ、公共活動として行う場合は無報酬が原則ですから欧米と比べてプロの人数はわずかですが、臨床宗教師の仕事は重要だし、これからの自然や人為による多死時代を予測すると(したくないけれど)、その重要性はいっそう増すでしょう。似かよった仕事に臨床傾聴士、臨床心理士、精神保健福祉士、心理カウンセラー、スピリチュアルケア師などがある中、臨床宗教師は宗教者(僧侶、牧師、神職など)に限られる点が特徴的です。
これは東日本大震災に遭遇した日本の宗教界が生みの親であり、欧米のチャプレンが師であるという事情によるでしょうが、宗教をバックボーンとする人がいったん自分の信仰を離れて他人の悲哀や不安や失意に「寄り添う」ことの意味を考えてみるに、寄り添う人自身が「自分の無力さ」を深く感じているであろうことが一番にあげられます。傾聴という行為を通してそれが相手(話者)に伝わるはずです。
また、ケアを受ける人が信仰を有する場合はその宗派の宗教者が対応できるし、漠然と宗教的な救いを求める人には各宗派が連携して対応できます。無神論者に対しても宗教者なら向き合えるはずです。さらに宗教者は、傾聴することによって受けるダメージから回復し、安定的に仕事を継続しうる点で非宗教者より恵まれた条件下にあるかも知れません。
最後に「カフェ・デ・モンク」について書きます(同じく藤山氏の著書より)。宮城県栗原市にある曹洞宗通大寺の金田諦應住職も読経ボランティアにたずさわり「心の相談室」の主要メンバーとなった人ですが、それと別に、コーヒーとケーキを持参しマイカーで避難所を訪れる傾聴出前喫茶「Cafe de Monk」というユニークな取組を開始しました。
その看板の由来書きがふるっています。
~ Monk とは英語でお坊さんのこと。平穏な日常に戻るには長い時間がかかると思います。あれこれと「文句」の一つも言いながらちょっと一息つきませんか?お坊さんもあなたの「文句」を聴きながら、一緒に「悶苦」します。~
この車には米国のボーズ(BOSE)社製のスピーカーを載せ、流す音楽はジャズピアニストのセロニアス・モンク(Thelonious Monk) というノリです。参加する僧侶や牧師は肩書を名乗らずニックネームの名札を付けるだけ。すばらしいではありませんか。
訪問先は岩手県山田町から福島県南相馬市までの避難所や仮設住宅で、2016年6月(藤山氏の取材時点)のカフェ開催は172回にのぼりました。同じ年の4月に発生した熊本地震の際には地元の臨床宗教師らが「くまもとカフェ・デ・モンク」を開き、また、被災者支援と関係なく東京や京都などでご当地版「カフェ・デ・モンク」が開かれるにいたりました。
割愛しましたが被災地での「傾聴の空間」は凄まじいエピソードや感動物語に満ちています。興味がおありの方は関連する本がいくつも出ていますからご一読ください。「臨床宗教師」は宗教の原点に関わる仕事であると思います。世の中には宗教者の名にふさわしいお坊さんや牧師さんがおられるものです。
友人I君が住職の座をゆずった暁に「臨床数教師」になるよう勧めたいと私はひそかに思っています。カウンセリングの資格もあるのでうってつけです。「バー・デ・モンク」ならやってもええな、と彼は言うかも知れません。
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