2026/04/10

309)遅すぎた謝罪

  禁酒中の私の家にポット持参でやって来て、自分一人お湯割り焼酎を楽しむI君ですが、袈裟をまとって本堂に立つと別の「分人」になります。私が想像するに彼は、本山の公式見解に安易に頼ることなく、自分が長く問うてきた親鸞の教えについて飾らぬ言葉で門徒衆に伝え、また学習会を開くなどして大いに信頼を得ているはずです(おそらく)。

 先日、彼のお寺で彼岸会があり、近隣の105歳の女性(戦争のさ中に大津で青春を過ごした人)が体験を語りました。千人針、竹やり訓練、防空壕の手掘り、金属供出などを馬鹿らしく無駄なことに感じていたことを明かし、「この戦争は絶対に日本が負けるとみんな心の中で思っていた」と続けました。貴重な証言です私はこの集まりに参加せず、I君が書いた「寺報」でその模様を知りました)。

 この話に続いて浄土真宗本願寺派総合研究所の研究員による「講話」があり、戦後50周年となる1995年、「千鳥ヶ淵全戦没者総追悼法要」において本願寺派の門主が初めて戦争協力に対する反省の言葉を述べたという説明がなされました。私は驚きました。逆に言えば本願寺派は、自らの戦争責任について50年もの間、口を閉ざしてきたことになります。

 「一体どういうことか?!」とI君にメールしたら、返事の代わりに「宗教情報センター」のHPに掲載されている藤山みどり氏の論文「宗教の歴史認識 ~ 戦争責任の表明とその後(年表つき)」のURLが送られてきました。それを開いて二度びっくりです。かつて日本の宗教界がこぞって戦争に協力したことは周知の事実ですが、この論文によると、各教団の反省表明は異常に遅いのです。(※「宗教情報センター」は宗派から独立した組織のようです)

 もっとも「早い」のが1967年(戦後22年)の日本基督教団による「教団の責任についての告白」、ついで1987年(同42年)、浄土真宗大谷派が「全国戦没者追悼法会」で反省の言葉を述べ、その8年後に前記の本願寺派の反省表明がありました。また藤山氏は、これらが1994年から翌年(50周年)に集中したこと、真宗二派は「仏法の名を借りて青年を死地に行かせた」と認めたものの、総じて仏教教団は「国策に従った」と釈明していることも指摘しています。

 しかしこれをもって宗教界だけを責めるわけにはいきません。思い起こせば政府でさえ「侵略戦争であったか否かは歴史家の判断にゆだねる」と開き直っていたではありませんか。初めてまともな歴史認識を述べたのは細川護熙氏(1993年の首相就任演説)であり、これが戦後50年の村山談話(植民地支配と侵略によりアジア諸国などに多大の損害と苦痛をもたらしたことへの痛切なお詫びと心からの謝罪)につながります。まだよい時代でした。

 村山談話は、小泉談話(戦後60年)、安倍談話(同70年)と薄められ、昨年の石破談話(同80年)でやや軌道修正されました。もし高市氏が「戦後81年」を語るとすれば歴代最悪になるでしょう。私は謝ればよいなどと主張しません。問題は、私たちが戦争責任(なぜ回避できず、あれほどの惨禍をもたらしたか)を自問することなく再出発したこと、特に政治家に「ボタンをかけ違えた」自覚が乏しいこと、そしてこれらが今なお国益を損なっていることにあります。

 ご承知のとおり戦後の国際社会で敗戦国は厳しい批判の目にさらされました。ただしイタリアは1943年に政権が倒れて盟友であったドイツに一部占領され、1945年に反ナチスの国内勢力が連合国と呼応して主要都市を解放、その後にパルチザン(すなわちイタリア国民自身)がムッソリーニを処刑して広場に吊るしました。イタリアも他国への戦後補償を行いましたが、こうした経緯からドイツや日本とは異なる地点から出発しました。

 膨張のはてに壊滅したドイツは、1945年10月、福音主義協会がシュトゥットガルト罪責宣言を出し、1951年にアデナウアー首相(聞き覚えのある名前)が「ドイツの名において行われた筆舌に尽くしがたい犯罪に対する道徳的、物質的な償いの義務がある」と表明しました。1970年にはブラント首相がワルシャワのゲットー跡でひざまずき、1985年にヴァイツゼッカー大統領が名演説を行いました。

 さらにドイツが支払った賠償金は10数兆円にのぼり、被害国への個人補償は現在も続いています。連合国による戦争犯罪の裁判が終わった後も国内法廷(アウシュビッツ裁判など)において戦犯を追及したことも日本と対照的です。ナチスドイツの時代にヨーロッパ全域にあれほどの災厄をもたらした国が、いま他国から一目おかれ、米国に対して物申せることの背景にこうした事実があります。

 日本の戦中から戦後にかけては、丸山眞男、雨宮昭一、大嶽秀夫、都留重人、鶴見俊輔らをはじめとする多くの研究があり、期限到来による日米の公文書公開もあいまって知見の蓄積が続いています。行き当たりばったりにこれらを読んで齧れるところだけ齧っている私ですが、それを自覚しながら少し書きます。

 連合国側からヒトラーやムッソリーニと同一視されていた天皇が極東裁判を免れたのはひとえに米国の意向によりました。米国はすでに1942年の時点で「戦後の日本統治」に天皇を利用する方針だったといいますから、日本はとうに見切られていたわけです。天皇と支配層の一部が、これ幸いと「国体護持」に動いたことも明らかになっています。そして人間宣言を経て象徴となった天皇は全国をめぐって大歓迎を受けました。

 こうして日本国民は、自ら戦争責任を検証し、国内の法廷で裁くことをしませんでした。直接的な死者は国内で三百万人、海外で二千数百万人と言われる戦争です。しかも日本兵の多くは敵の弾丸でなく病気や飢えで落命しました。沖縄などでは日本軍が日本人を殺しました。一口に戦争責任といっても国内と国外の区分があり、法的、政治的、道義的な側面もあって複雑ですが、少なくとも極東裁判で有罪となった25名だけの責任ではなかったはずです。公職追放もGHQによる一時措置にすぎませんでした。

 まさに丸山眞男が指摘した「無責任の体系」です。その中心的存在である天皇制については今後あらためて考えたいと思います(それがイデオロギーや宗教ではない共同幻想であって、明治と昭和の時代に社会を方向づけ、令和においては平成天皇により示された新たな形にそって続けられていることや、女系天皇などについて考えたいと思います)。

 日本共産党は戦争に反対し、他にも節を曲げずに迫害された人々がいたので正確には「一億総無責任」ではなかったけれど、戦争責任をあいまいにしたまま出直して、しかもそこそこうまくやって来た日本の姿を外から見ると、ドイツとの差は歴然としています。従軍慰安婦や南京虐殺の問題が「水に流せていない」のもここに根本の原因があるでしょう。

 I君の「寺報」を読んで思ったことを長々と書きました。外国の視線を気にし過ぎる意見だと思う方があるかも知れません。しかし、他国とうまくやっていく上で「傍目」も大切です。保守的ポピュリズムが勢いをます国内においても、私たちが歴史にもとづく「自画像」を持つことが重要です。トランプ政権はまだ3年続きます。米国、中国、韓国その他の国々とうまくやっていくための要諦は、歴史と未来を客観的にみる眼にあると考えます。

 近ごろ読んだ本に「戦争が遺したもの ~ 鶴見俊輔に戦後世代が聞く ~」(鶴見俊輔、上野千鶴子、小熊英二・2004年、新曜社)があります。雑誌「思想の科学」、転向の研究、ベ兵連などで有名な鶴見俊輔が「人生も終盤だから何でも話す」と明言し、年少の二人が遠慮会釈のない(時に苛烈な)問いを投げ、語り合っていく一冊です。
 なお、上野氏と小熊氏が鶴見俊輔に寄せる敬愛の情は、3日にわたったインタビューの間にはさまれる雑談(お食事タイム)の中で十二分に示されています。

 この本の後書きで上野千鶴子はこう書いています。
~ 鶴見さんの信頼の深さをまえに、わたしはバトンを手渡された気分である。わたしも小熊さんも戦争を知らない。日本では人口の三分の二までが戦後生まれで占められるようになった。戦争体験は、もはや経験者が語り継ぐものではなくなり、それをまったく知らない者たちが再構成して引き受けるほかないものとなった。だが21世紀の今日、戦争は少しも過去のものになっていない。あの惨憺たる経験から、わたしたちが学んだことはまだまだ足りない、かのように。歴史は、それから学ぼうとする者の前にしか姿をあらわさない。~

 この言葉を勇ましい高市首相にお裾分けします。高市さんはドナルドに伝えてください。






0 件のコメント :

コメントを投稿

1月9日をもってコメント受付をすべて終了しました。貴重なご意見をお寄せ下さったことに心からお礼申し上げます。皆さまどうも有難うございました!なお下の(注)はシステム上の表示であり例外はございません。

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。