2024/04/26

232)三井寺のこと

 大津には良いお寺がたくさんありますが、そのうち私に特に馴染み深い三井寺を取り上げます。大津に都をおいた天智天皇の没後、後継を争う壬申の乱に敗れ長等山で自害した大友皇子(弘文天皇)の菩提を弔うため大友氏の氏寺としてこの寺は建立され、勝者となった大海人皇子(天武天皇)により「園城寺」の勅額が下賜されました。時に686年、最澄による延暦寺創建より100年も前の話です。

 境内に湧き出る泉水が天智、天武、持統の3天皇の産湯に使われたという伝承があり、御井(みい:三井)の寺と称されたのが別称の由来ですが、今なお、金堂の左手にある閼伽井からボコッ、ボコッと低い音をたてて清水が噴き出しています。背後の長等山は低山ですがよほど良質の水脈があるのでしょう。智証大師円珍が三井寺別当に任ぜられたのが859年、現在の福家俊彦長吏は数えて164代目ですからお寺の歴史と伝統の厚みのほどが伺えます。

 天台宗は円珍なき後に円仁門徒と円珍門徒の確執が生じ、山門(延暦寺)と寺門(三井寺)の対立に発展しましたが、どうやら山門の方がアグレッシブだったらしく三井寺は何度も焼き討ちを受けます。その後も平家に焼かれる、北畠・新田に焼かれる、秀吉に壊される、廃仏毀釈で壊されるなど歴史の荒波をくぐってきました。

 昨年「世界の記憶」に認定された円珍文書(記事208「魚の目は泪」)を始め、私たちがいま見ることのできる史料、仏像、襖絵、建物は幸運にも被害を免れたか、再建されたかのどちらかでしょう。世はまことに争いと平穏、破壊と創造、蕩尽と産出の繰り返しです。前回記事の終わりに三井寺が出された「憲法堅持」の声明文にふれました。この意見表明の根底には先の大戦ばかりでなく、三井寺が1600年余に経験してきた戦禍の記憶の堆積があるものと推測します。

 私たちが若い頃からよく訪れた三井寺ですが、近傍の大津市役所に私が職を得たことから「町内のお寺」のように親しみが増しました。とはいえここは天台寺門宗の総本山、全国から信徒や観光客が集まります。長等山の麓に建ち並ぶ堂塔は壮麗で周囲を彩る桜よし、新緑よし、紅葉よし、雪もまたよし。仏教をいったん横におくと三井寺は和の魅力あふれる都市空間であり、高台の観音堂まで登ると眼前に山と湖と町並みの更に大きな景観が広がっています。

 俳諧に親しんだわが先祖と、近江の人や風土を愛した芭蕉との関係(の希薄さ)についてはすでに述べたとおりです(記事199「夢は枯野を」)。元禄4年の中秋、義仲寺での句会で芭蕉は「三井寺の 門たたかばや けふの月」と詠みました。これから三井寺まで出かけていって修行に余念のない僧らにも夜空を見上げるよう言ってやりたいほどの名月だ、ほどの心でしょうか。俗世から聖域への幸せのお裾分けです。

 芭蕉が三井寺を詠んだのは滞在地の名所への挨拶ですが、念頭に唐詩の一節「鳥は宿す池中の樹 僧は敲く月下の門」(賈島)があったはずだし、また芭蕉の没後、去来は「応々と いえどたたくや 雪の門」と詠みました。こうしたバトンパスは、文芸の技巧に留まらず人の表現行為一般、より大きくは文化を成り立たせている要素の一つであると思います。

 三井寺は智証大師の関係文書典籍の保存修理事業を行っており、「世界の記憶」としての価値を高めるため史料調査も進めています。福家長吏はこれらを主導するかたわら編集工学者の松岡正剛氏と共に「近江ARS(Another Real Style)」という文化プロジェクトを立ち上げ、古くから人や物の交流拠点であった近江の地から、新たに別様の価値を見いだそうとする取り組みを始めています。

 近江ARSの継続的な事業(伝統芸能や仏教思想をめぐるトークイベント、三井寺にまつわる建築や食のレポート、近江各地の現地取材など)の模様は「百間マーケット」でネット配信されており、昨年から私はこれを視聴しているのですがとにかく面白い。特に福家氏、松岡氏、宗教学者の末木文美士氏の鼎談は、わが国の思想や政治や社会をタテヨコナナメに論じて興味がつきません(内容の7割は私の理解をこえますが)。大津、近江で活動する人々がこの事業に関わっていることも大津市を応援する私として嬉しい話です。

 福家俊彦長吏とは過去にお話する機会があり何冊かの著書も読みましたが、闊達、自在の精神に加え大変博学の方であると私は思っています。そして氏が三井寺を軸として広範かつ精力的に文化的、社会的活動を行っておられるのは、21世紀の日本において仏教寺院および仏教が果たしうる役割(果たすべき役割)を模索する大きな試みの一環であろうと想像します。

 これは宗教と人間、文化と人間、歴史と人間、社会と人間の関わりへの大切な問いかけでもあります。その答えをこそ私が強く求めるものですが、それは茫漠として手がとどく所にはなく教えてくれる人がそもそもありません。こうした私にとって「近江ARS」の取り組みは示唆にあふれています。他ならぬ三井寺を拠点としてこのプロジェクトが誕生し進みつつあることを喜んでいます。

 ちなみに「近江ARS」の催しは参加自由(申込制)ですが、私は桐生とアヤハディオと平和堂に行くばかりなのでネット視聴しています。最初はその手続きが分からず、また配信日を勘違いしたりして何度も事務局に問い合わせたところ、先方は嫌な顔ひとつせず(電話なので確信はないけれど)毎回とても丁寧に対応いただきました。やりとりの中で図らずもその種の問い合わせをしたのは私しかいないことが分かりましたが、近江は古い土地だから古い人間も残っているなあと事務局では思われたことでしょう。

 また三井寺に行きたくなりました。桜の季節を逃しましたが今は緑が美しいはず。広く明るい境内のそこかしこに若い頃からの記憶が残っています。







 


 


 

 
 

 

 




 




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