政治の世界ではよく言葉の「中身」よりそれが及ぼす「影響」が重視されますが、これは一つの倒錯であって、たとえばノーベル物理学賞、化学賞、生理学賞などが表象する真理の探究という「清らかな」世界から遠く離れています。それゆえか政治にはある種のうさん臭さがつきまといます(集団の力学の体臭のような)。その真ん中で咲き誇っているのが奈良の女です。
もちろん私は政治は汚れた世界だとのみ主張するものではありません。政治は大切です。よい政治家もいます。そもそもノーベル賞自体が政治であり、ベネズエラの野党指導者、マリア・マチャド氏の平和賞受賞はこの事実を意義深く示しました。同氏の民主化運動に賛否あるけれどトランプ氏より平和賞にふさわしいことは確かです。ここで高市発言にもどります(なんという落差)。
前回記事は高市発言から始まり、「中国激怒」→「国の誇り」→「平和外交」と進んだところで「パンダ絶望的」→「熊で代用」→「命の倫理」に脱線し、動物を殺めた際の「殺生の儀式」の必要性に及び、しからばカメムシやナメクジの葬送儀礼をどうするかという難問にぶつかって終了しました。そういえば仏教では命の分け隔てをしないなと私は思い、友人I君にラインで意見を聞きました。
I君は、私が勝手に「大津3高僧」の一人に数えている善知識であり、素人の悪球をていねいに打ち返してくれます(ちなみに残りは三井寺長吏と石山寺座主のお二人)。名古屋に出かけていた高僧は、京都にもどる「のぞみ」の車中で「つくね」を肴にワンカップを飲みながら返事をくれました。概要は以下のとおりです。
~ カメムシも人間も同じ衆生、つまり生きとし生けるものであることは仏教の共通認識です。ここに植物を加えるかどうかの議論はさておき、あらゆるものが仏性を有する(救われる存在である)という「悉有仏性」の考え方は大乗仏教に思想的根拠を提示しています。ただ、この考え方は「仏性は不変である」ことを前提にしており、あらゆる存在は常に変化しとどまるところがないという「縁起の原理」との整合性を問題視する意見があります。この点については改めて考えます。
ところで真宗の場合は悉有仏性をあまり強く主張していません。おそらく親鸞は自分自身が仏性を有していると思えなかったのでしょう。だから比叡山を下りた、法然もそうです。~
引用は以上です。山を下りた法然と親鸞は、南無阿弥陀仏と唱えるだけで往生できると説いて仏教界と朝廷から弾圧され、耐えて生きのび教えを広めました。これが素人にも面白い物語なのですがさておき、I君は、「とりたてて法要を行わなくてもカメムシは成仏すると定まっているのだから常識の範囲で考えるがよい」と言外に諭してくれました。カップ酒を飲みつつ高邁な言葉をつむぎ出すのが高僧たるゆえんです。
和辻哲郎の「風土」にならえば、「悉有仏性」は豊饒なアジアモンスーン地帯に根ざす多神教的思想であり、苛烈な乾燥地帯に生まれた一神教の「原罪」と対照的です。しかし同時に思うには、神に背いて知恵の木の実を食べたために人間に科された罰としての「苦しみ」、「欲望」、「生の不毛」、「死」は、釈迦の説いた生・老・病・死の「四苦」に深く通じています。このように洋の東西で人は神を求めましたが、それを必要としない点で動物は人間より幸福かも知れません。
さてここで「ビワマスの神」O君から届いたメールを引用しないわけにいきません。
~ この前の記事はおモロかった。たしかに「ひ弱な国NIPPON」の自覚もたなあかんな。脆弱な国が何を武器にサバイバルを図るか。俺は JAPAN QUALITY への憧れを世界に広めることやないかと思うた。マインドのある国やな。身近なとこではお尻を洗うてもらえる便器の国、 魚のおいしい食べ方を知ってる国、 スゴい投手を次から次へ生み出す国とか。
日本すごいな何んでやねん?と思うてもらえる国、 生き方を羨ましがってもらえる国。高度経済成長期でいうとSONY、HONDA、 TOYOTAがモノづくり精神で世界の憧憬を集めた。今それをもっと形而上まで広げたら「平和憲法でも生き残ってる国」ちゅうのが入ってくる思う。ノーベル賞がけっこう出てるし頭脳を育成できる国と思われるのもええ気分やな。 世界からみんな来はるで。
日本の国民が自信持たなあかん。 中国に負けてるちゅう心配につけこんで高市みたいな奴があんなこと言いよるわけや。日本は世界を平和にできる、いや平和にせなあかん。 そう思わんとな。人にも生き甲斐がある。国にも生き甲斐がある。
クマはなあ、危ない個体は殺すしかないわ。ほんまいうたら襲われそうなアンタが殺しなさい、や。 生き物どうし弱肉強食の戦いやないですかちゅうことで。けど鉄砲を持たせてもらえへんし、 警察が殺そうが猟友会が殺そうが、 強いほうが勝った結果クマが死んだで一区切りやと思うねん。そこから先は茂呂が言うみたいにお芝居、生命倫理を維持するための仕掛けがいるな。~(引用おわり)
O君節サクレツです。熊に関して全米ライフル協会のようなことを言っていますが論旨は私と同じです。「憧れる国」という考え方にも賛同します。かつて憧憬を集める国があったけれどすべて一夜の夢に終わりました。ソ連、中国、朝鮮民主主義人民共和国、フランス、英国、米国など。日本も極東の神秘の国として西洋人の想像力を刺激した時期がありました。
私がいまも憧れをもつのはウィーン、ジュネーブ、プラハ、ストックホルム、パリなどの都市であって国家ではありません。国家は内向きに権力・統治機構で外向きに国際社会のメンバーですから憧れの対象になりにくいのでしょう。しかし、それを目ざすというアイディアは正しいはずです。自国民がその国の主役でありあるかが第一歩だと思います。
北海道うまれで今は近江に住むRさんから「私は子どもの頃にヒグマの肉を食べた。農業技術の指導員であった父が仕事仲間と鍋をかこみ農政談義をしている時に相伴にあずかった。美味しいという記憶はないけれど」とメールをもらい、さすがに北の大地の人はやるなあと感じ入りました。やはりジビエのメニューに熊料理を加えるべきです。
「奈良の女」の数は68万人、その一人で以前から高市氏のポスターが街のあちこちで目について困るとこぼしていたNさんは電話で次のように語りました。「高市さんが総裁選で和歌を詠んだ感性を疑う。台湾発言を熱心に擁護する人が多いことにも驚く。みゃくみゃくブームも理解できない。金時鐘さんが『いともやすやすと感動になだれをうつ日本人よ』と言い、小野十三郎さんが『短歌的抒情』を否定したことを思い出す。」
前回記事を読んだ友人から以上のようなコメントをもらいました(金時鐘さんの発言は以前の記事にも書きました)。このように私の周囲は高市発言(高市氏の政治姿勢)に批判的な人ばかりですが、内閣支持率は高いままであることを見ると私たちは政治的マイノリティなのかも知れません。議員定数削減や政治資金透明化法案、通称使用、おこめ券なども問題だらけに見えます。
熊をパンダ色に塗るプランが友人からスルーされたので別案です。奈良公園の鹿を一時的にかりてソリをひかせ子どもの施設にプレゼントを配ってまわるのはどうでしょう。雪のない地域ではソリに車輪をつけて軽くします。サンタ役は時間のある高齢者に依頼します。ただ私のように貧相ではなく太めの人(BMI30~40ほど)がよいでしょう。ホワイト案件(というかレッド案件)ですからみんな喜んで応じてくれるはずです。高市さんがフードバンクと奈良県に声をかければこのクリスマスに間に合います。

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