2026/01/10

301)歌は世につれ

 不遜にも「中南米はわが国の裏庭である」と北米の政府が公言し、それを実践しています。グリーンランドも欲しいようです。まったくトランプは、プーチンやネタニヤフらと暗黙裡に共謀して世界史を100年まき戻そうと「切磋琢磨」しているようです。しかし怪物を育てるのが民衆であることはスターリンやヒトラーの例に明らかです。今なぜ怪物がのさばるのか。 貧富差の拡大やネット言論のありようを踏まえて論じてくれる人はいないでしょうか。

 高市氏にそこまで求める気はないけれど、日米の「信頼と対等」の関係を生かし、平和憲法をもつ国の首相としてトランプに物申してほしいと思います。米国べったりではやっていけません。非核不戦の民主主義国として世界各国の信頼を得ることしか日本の生きのびる道はないでしょう。先日、大津で市民団体がトランプ政権の軍事攻撃への抗議デモを行ったと知りました。山歩きしかしていない私ですがこのニュースを嬉しく思いました。

 本題に入ります。あなたにとって昨年の一大事は何かと問われたら、私は迷わずボランティアデビュー(6月)と断酒開始(8月)であると答えます。ボランティアは草津市社協の事業手伝い、地域サロン訪問、広場の植栽管理など月に数回の活動があり、お酒は誰の監視下にもないのに一滴も飲まず、いずれも無事に年を越しました。マラソンの有森さんなら「自分をほめてあげたい」と言うところです。

 「偉業」の裏には山も谷もありますがその話は他日にまわし、昨年暮れに昭和以降のヒットソング110曲の歌集を作ったことを書きます。私は近ごろ地域サロンで合唱のギター伴奏をしており、レパートリー拡大のために歌詞対称のコード譜(和音名を書いた個人用ペーパー)を作りましたが、この作業でひと月以上どっぷりと歌謡曲の世界に浸り、げに歌は世につれ、世は歌につれであることよと感じたことを記します。

 栗東市のある高齢者施設がフロアの一部を地域開放しており、近所の人がそこで週一回「にこにこカフェ」を開いています。ご常連は女性が約10人で男性は一人、みんな私より年長の方々で、季節を問わず室内に春の暖気とコーヒーの香りが漂っています。私たちのボランティアグループはこの集まりに月一回でかけて手作りの「お楽しみ」を提供しており合唱もその一つです。以前の私なら合唱など鳥肌モノですが今はそんな感覚を超越し、ヨシ笛の代わりにギター伴奏までやっています(ヨシ笛は和音が出ないので)。

 ところで私は耳から入るメロディーが明るければすべてハ長調に、暗ければイ短調に聞こえます。例えばベートーベンの「田園」はヘ長調であるにも関わらず私には「ミファラソファミレソドレミファミレ~」と聞こえ、「運命」はハ短調なのに「ミミミドー、レレレシー」と聞こえるのです。まことに中途半端な音感ですが、逆に大抵のメロディーをCメジャーかAマイナーに置き替えて耳コピできるので「にこにこカフェ」では楽譜なしの即興で伴奏していました。

 しかしこのやり方だと洒落たコード進行が分かず単調になりがちだし、歌い手の音程と合わないこともあるので、やはり伴奏用に原曲どおりのコード譜を作ろうと考えました。しかしどの曲をえらぶか。カフェの皆さんはビートルズよりダークダックス、山下達郎より橋幸夫、松任谷由実より八代亜紀が好みであることが明らかです。そこで私は昭和人間の琴線にふれそうな歌を選び、1950年代から現在まで10年スパンで並べました。

 以下に一部を抜き出します。
 1950年代(昭和25~34年)はサンフランシスコ条約が結ばれ朝鮮特需や神武景気に沸きテレビ放送が始まった時代です。「青い山脈」、「上海帰りのリル」、「銀座カンカン娘」、「長崎の鐘」、「有楽町で逢いましょう」などが流行りました。どれも私が物心ついた頃に真っ盛りもしくは残照のように街に流れていたメロディーです。私の1曲は「カスバの女」(エト邦枝)。アルジェリア対フランスの独立戦争が背景にあり、カスバ(城塞)の酒場で働く女の薄情(うすなさけ)が歌われます。~ここは地の果てアルジェリア~という歌詞をご存知の方もあるでしょう。

 1960年代(昭和35~44年)は60年安保闘争、所得倍増計画、東京オリンピック、ダッコちゃんなどで記憶されます。「白いブランコ」、「明日があるさ」、「ドリフのずんどこ節」、「世界は二人のために」、「ブルーライトヨコハマ」、「ある日突然」、「遠くへ行きたい」、「銀色の道」、「友よ」、「山谷ブルース」、「悲しくてやりきれない」その他いろいろ。学生運動からプロテストソングが生まれフォーク時代の幕が開きました。私の1曲は「上を向いて歩こう」で永六輔、中村八大、坂本九の「六八九トリオ」によります。一時代を築いた人たちです。

 1970年代(昭和45~54年)は大阪万博、オイルショック、よど号事件、三島由紀夫の突入、パンダ来日、ボウリングブーム、マクドナルド上陸などがありました。「愛とあなたのために」を熱唱したのは杉田二郎。半世紀前のある日、京都御所のベンチに座っていた私とアヅマの前を彼が通りかかりました。アヅマが「ジローさん」と声をかけると彼は振り返ってかすかに笑みを浮かべました。この頃はフォークソングの全盛期です。「あの素晴らしい愛をもう一度」、「神田川」、「学生街の喫茶店」、「岬めぐり」、「旅の宿」、「22才の別れ」、「どうにかなるさ」など上げるときりがありません。

 私の1曲は「戦争を知らない子どもたち」。戦争体験者が世の中を動かしていた時代に戦争を知らない幸運を背負った若い世代が参入した「お目見えソング」でもありました。「若すぎるから、髪の毛が長いからと許されないなら今の僕たちに残されたのは涙をこらえて歌うことだけ」という歌詞は甘っちょろいけれど時代を画した歌です。それから時は流れてみんな戦争を知らないおじいさん・おばあさんになりました。子や孫も同様でなければなりません。

 1980年代(昭和55~平成元年)はバブル景気、日航ジャンボ墜落、東京ディズニー開園、コアラ、国鉄民営化、ファミコン、おしん、平成改元の時代です。私は仕事と家庭の比重が大きくなり歌どころではありませんでしたが、「クリスマスイブ」、「乾杯」、「川の流れのように」、「昴」、「長い夜」、「ルビーの指輪」、「贈る言葉」などがヒットしました。長淵剛、谷村新司、松山千春らの自己陶酔的な歌も流行りました。私の1曲は大瀧詠一の「君は天然色」。妹の死のあとに作られた曲ですが出来事は直接に語られず、軽快でおしゃれなメロディと「思い出はモノクローム、色を付けてくれ」という一節が印象的です。

 1990年代(平成2~11年)はバブル崩壊、普賢岳爆発、阪神淡路大震災、オウム真理教事件、長野オリンピック、Jリーグ開幕、ポケモンなどが思い出されます。「春よ、来い」、「涙のキッス」、「島唄」、「ロマンスの神様」、「愛は勝つ」、「地上の星」、「SAY  YES」などが流れていました。私の1曲は井上陽水の「少年時代」。少年の夏を甘くふりかえる歌ですが、~夢がさめ夜の中、長い冬が窓を閉じて~の部分で、F♯m7-5、B7、Bm7-5、E7、Am7、D7、Gと移るコードがきれいです。とにかくこの人は美声です。

 2000年代(平成12年~  )は介護保険開始、USJ開園、AKB48、裁判員制度、東日本大震災、コロナ禍、二刀流、大阪万博など。2011年から日本は人口減少局面に入りました。「TSUNAMI」(サザンオールスターズの予期していなかった意味が付与された曲)、「世界に一つだけの花」、「希望という名の光」、「東京VICTRY」、「パプリカ」など。他にもたくさんの歌が生まれていますがもう私に追い切れません。私の1曲は山下達郎「Reborn」で、この歌については前に書きました(記事198「命の船」)。

 以上は私が選んだ「時代の歌」のほんの一部です。およそ80年の時の流れにつれて歌はずいぶん変わりました。これを新旧に大別して私の大まかな感想を言いますと、昔の歌は「あっさり味」でした。典型は文部省唱歌であり、その他1960年代あたりまでの歌謡曲(「雪の降る町を」、「バラが咲いた」、「遠い世界に」、「恋の季節」等々)にしても歌詞とメロディが非常にシンプルです。叙事と抒情の器である歌の役割がそれで果たせたということでしょう。

 ところが時代が進むと歌詞のメッセージ性が増し、文字数がふえ、メロディも複雑化して「こってり味」になります。背景には成長軌道に乗る社会経済があり、世界的なベトナム反戦運動、国内で広まったロックやジャズの影響などをうけて1970年代にフォークソングブームが起こり、歌の変化を加速させました。といっても主流は一貫して社会より私の歌です。歌詞の長い歌に「希望」、「勝手にしやがれ」、「木綿のハンカチーフ」、「春よ、来い」、「ロマンスの神様」、「どんな時も」等があります。

 言葉の移り変わりを見ましょう。昔の歌には「焼け跡」、「外人部隊」、「踊り子」、「乙女」、「女の道」、「セーラー服」、「おさげ髪」、「こうもり(傘)」、「ティールーム」、「カルピス」、「煙草」、「シネマ」、「ロードショー」、「電話」、「手紙」、「列車」、「夜汽車」といった言葉があり時代を感じさせます。ところで私は世の中に手紙が減ったことを惜しむものです。投函してすぐ反省したり、早くて3~4日はかかる返事を心待ちにする体験は、いまの若い恋人たちの心を耕すだろうと思います。
 
 ジェンダーの視点からも歌は変わりました。1969(昭和44)年の「恋の奴隷」で奥村チヨは、「あなたの膝にからみつく、子犬のように」、「悪い時はどうぞぶってね、気にしないから」、「右と言われりゃ右向いて、とても幸せ」、「影のようについてゆくわ」、「好きなように私を変えて」、「あなた好みの、あなた好みの、女になりたい」と歌い上げ大ヒットしました。ええなあと思う男性が多く、しゃあないと思う女性も少なくなかったということでしょう。この他にも男らしさや女らしさを強調する歌がありました。

 今はさすがにこの手のあからさまな歌詞は見当たりません。これが単純に社会の進歩を意味していないのは性別による賃金格差や離職率の違い、管理職や議員の割合などに明らかですし、多くの差別がソフト化により生きのびている現実があります。とはいえ全体的に見ると、歌詞はジェンダーギャップを小さくする方向に変わって来たように思います。

 時代をこえて変わらないものが一つあり、それは歌のメインテーマが恋(ほのかな慕情、恋の予感、喜びや苦しみ、失恋の予感、去った人の思い出、過ぎた日々への惜別など)であることです。これは万葉時代からの伝統でもありますが、歌が事物よりも情感を担うことの現れでしょう。つまり歌は人々の情感(世間の心情)の変化を示す指標であるといえます。これについても誰かに論じてほしいところです。

 私のコード譜は、上記以外に古い歌(ふるさと、富士の山、通りゃんせ、朧月夜、茶摘み、荒城の月、ペチカなど)をカバーし、他にコマーシャルソング(ヤン坊マー坊の歌、パルナス、ハトヤホテル、平和堂、アヤハディオの歌など)を加えて最強の布陣を誇っています。1月下旬の「にこにこカフェ」でお客さまのリクエストに応える予定ですがどうなりますか、その日を待たずに記事をアップします。次回はまた浄土門について書きたいと思います。I君、O君、T君の三哲からメールで宗教談義を吹きかけられ私はにこにこふらふらです。





 
 
 

 



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