国家の表象であり国民統合の効果的な装置である国旗と国歌は、その国の歴史を功罪ふくめて背負わざるを得ません。先の大戦において日本の「盟友」であったドイツやイタリアが、敗戦後の再出発に際してこれらを廃したり変えたりしたことは当然(必要不可欠なリセット)でした。ところがわが国はこれを行わなかったばかりか、1999年には法制化に踏み切り、戦前と戦後を再接続する道を歩んできました。
日本が戦争責任について「知らぬ顔の半兵衛」であることは前にも書きました(記事179「天皇の戦争責任」、記事309「遅すぎた謝罪」など)。国旗と国歌もその一例です。私たちは、日の丸と君が代に染みついた自国民とアジア諸国民の血痕を自らの汗と涙で落とす営為をなさぬまま、これらとなれ合って来ました。ですから私は、オリンピックやワールドカップで日の丸の小旗を打ち振る人々を見ると、控え目に言ってたいへん複雑な気持ちにかられます。大相撲の千秋楽のテレビ中継では君が代の音を消します。そもそもこの歌はどう考えたって君主賛歌ではありませんか。メロディーは陰鬱だし。
家ではよいとして、地方公務員であった頃、特に熟年職員となってからは人知れぬ苦労がありました。儀式の主催者や来賓の立場で壇上にいる場合、国歌斉唱を拒絶する選択肢はありません。でも私は歌いたくない。そこでそんな時はいつも口パクをしていました。それも歌詞をなぞるのは嫌なので母音に言い換えました。「君がー代ーはー」は「イイアアオオアー」という具合で、これだと口の形が似ており人に気づかれません(姑息な男です)。
ついでに言うと「さむらいジャパン」、「なでしこジャパン」、「がんばれ日本」、「日の丸を背負って闘う」等といった言葉も心底きらいです。かの小澤征爾は1959年に貨物船でマルセイユに渡り、ブザンソンまでスクーターで移動して指揮者コンクールで一位を取りましたが、その際、スクーターに日の丸を小旗を立てていたというエピソードを知った時も残念に思ったほどです。本当は国家も国旗もなくてよいものかも知れません。これらは国民より国家を利するものだからです。
以上述べたことは感情の問題であると同時に思想の問題であって100人に100通りの想いがあってよいけれど、現実には多数の容認派と少数の否認・懐疑派に分かれています。さいわい生きるか死ぬかという課題ではないので、私たちには差異を認め合って共存することが比較的やさしい分野です。そこにマニュキアをした手を突っ込んで「まつろわぬ民」を排除しようとするのが高市式国旗損壊罪の創設です。
これは憲法で保障されている表現の自由や内心の自由を「国民感情の保護」の名のもとに侵害しようとする悪法です。外国国章の損壊罪があるのに自国の国旗には相当する罪がないというのが政府の理屈ですが、対外問題と内部問題を一緒くたにしてはいけません。そもそも外国国章損壊罪(刑法92条)は、1891年に大津の名を全国に広めることとなったロシア皇太子襲撃事件に腰を抜かした明治政府が、大国の顔色をうかがって創設した経緯があります。
ただしこれに違反して検挙された事例はおそらく皆無ですから、バランスをとりたいなら刑法92条を削除すれば足ります。それに国旗(日の丸)を毀損する行為自体が実際にはほとんど発生していません。このようにまったく必要性のない立法化を政府があえて行うのは、「国家が国民に優越するものである」という空気を醸成するためだとしか考えられせん。
すこし前の日本学術会議の会員の不承認問題(菅内閣)、今般の緊急事態条項の設置論議、スパイ防止法、情報局の開設、台湾をめぐる高市発言、辺野古ボート事故への過剰バッシングなども一連の流れです。社会がどんどん息苦しくなってきます。これまた高市早苗という災厄の現れです。このところ平野啓一郎氏が高市政権について積極的に発言しているのは、同氏が「坑道のカナリア」を引き受ける覚悟をもっているからでしょう。
蛇足ながら私も人と同じように日本が大切であり(住んでいる人も風土も)、避けがたい人口減少および大規模災害、また厳しさを増す国際情勢の荒波の中、この国が平和に穏やかに存続していくことを願っています。しかるに政治家の思考の射程はあまりに短いのです。首相は自分の任期中のことしか頭になく(財政規律の無視)、大臣もしかり、国会議員も自分と二世、三世までの身分保障が最優先、霞が関の役人もまた定年までのことしか念頭にありません。
いま「緊急事態」を叫ぶなら原油でしょう。別ルートを開拓するといっても課題山積で、現に原油の総輸入量は例年の半分に落ち込んでいます。高市氏は「来年の春までは安心」というけれどその先はどうなるのでしょう。政治家なら事態のさらなる悪化も想定すべきでしょう。「目詰まり」なる言葉はコメ不足の時にもよく聞きましたが責任転嫁もいいところです。高市氏は、ポテトチップスの包装を白黒にしたカルビーの社長を官邸に招いて教えを乞うべきです。
たまには楽しい記事を書きたいけれど高市氏がそうさせてくれません。ところで私の日常においてはボランティア入門で一年がすぎ(早いものです)、あちこちでバルーンを膨らませたりギターをひいたり草をむしったりしました。来週は「キラリエ・マルシェ」という大きなイベントを手伝います。
家をファーストプレイス、職場や学校をセカンドプレイス、それ以外の場をサードプレイスと呼び、サードプレイスを豊かにすることが当人および地域社会の幸福に資すると社会学者のオルデンバーグが言っていますが、私はボランティアを通してかなり多くの人のサードプレイスにおける表情を見てきました。みなさん概して笑顔です。こうした場には国旗も国家も必要ないと感じられます。次回は楽しいことを書くつもりです。

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