子どもの頃に読んだ本の中で「よく分からないけれど不思議に心ひかれる言葉」に出会ったことがある方は多いでしょう。私の場合は、干し草のベッド、山羊のミルク(どちらも「アルプスの少女」)、レモネード、徒競走(同じく「あしながおじさん」)、りんごの圧搾機(「車輪の下」)、浩然の気を養う(「吾輩は猫である」)などが思い出されます。こんな点もアヅマと私は話が合いました。「羊皮紙」もその一つで宝の地図や呪いの呪文が記されているのが常でした。
子ども時代の興味や疑問はやがて消えてしまうけれど「この人」は違います。十分な大人になってから(就職や結婚を経て)カルチャーセンターのアラビア書道講座に通うこととなり、そこに提出する作品に本物の羊皮紙を使おうと考えました。課題は「コーランの一節をアラビア語で書くこと」でしたが、普通紙の使用が言わずもがなの大前提です。しかし、この人は本物らしさを求めて羊皮紙を選び、それを契機に少年時代の「羊皮紙愛」を復活させます。そして彼の人生は激変しました。
こうした経緯は彼の著書(八木健治「羊皮紙をめぐる冒険」・本の雑誌社)から引用しています。八木氏は専門店で羊皮紙を買うことに飽き足らず、オランダのウェブサイトで「中世ヨーロッパの羊皮紙づくり」を見つけて実行に移します。北海道の牧場から取り寄せた羊の毛皮を自宅の風呂場で洗い、石灰水に1週間ほど漬けこんで毛を抜き、木枠で引っ張って乾燥させ、ナイフで削り、サンドペーパーでこするという生々しい手作業です。かつて羊皮紙職人の妻に離婚申し出の権利が認められていたのはこの悪臭ゆえだろうと八木氏は書いています。
前回記事の雨宮氏(縄文人)と同じように八木氏もぶっ飛んだ人です。彼は風呂場で大変な苦労と工夫と失敗を重ね(ドタバタ喜劇の観があります)、ネットオークションで中世の写本を買い集め、海外の皮職人にメール質問をぶつけ、羊皮紙のメッカであるシリアやイスラエルへの視察旅行に出かけます。ハイライトの一つは「死海文書館」の訪問。半世紀近く前、死海のほとりの洞窟で偶然に発見され世界に衝撃を与えた古代ユダヤの死海文書(羊皮紙に手書きされたヘブライ語聖書)を目の当たりにした感激を八木氏は熱く語っています。
彼は現在、羊皮紙の輸入・販売、羊皮紙写本のコレクション展示、羊皮紙や写本に関する執筆・講演などを中心に活動しています。その本(新刊)の一冊をたまたま私が読んだわけです。ちなみに八木氏はヤギ皮で作った名刺を持ち、相手に「そのまんまですね」と言わせることを秘かな喜びとしているそうです。子ども時代に出会った言葉が、ひょんなことから蘇ってその人の人生に実りをもたらした実例であると私は八木氏について思います。
ところでアルタミラの壁画に見るように、人類史においては、まず地面や岩肌に「描く」という行為があり、その次に粘土版やパピルスが発明されたという順序でしょう。羊皮紙はパピルスの代用品として中東で発明されたとローマの歴史書にあります。砂漠と遊牧の地域で羊皮紙が生まれ、草木の生い茂る日本で和紙が生まれたという事情は和辻哲郎の「風土」を思い起こさせます。いや紙の発明は漢の蔡倫でしたか。いずれにせよアジアのモンスーン地域です。
動物の皮にしても水草や樹皮にしても大きさに限度がありますから、そこからできる紙のサイズも一定の大きさを超えられません。聖書のように大きな書物をつくるには大量の紙を繋げるか束ねる必要があります。とすれば本はそもそも「巻物」であったのか、蛇腹のような「折り畳み式」であったのか、片方を綴じた「冊子」であったのか。 興味深い謎です。時代はかなり下るけれど三蔵法師がインドから唐に持ち帰った経典はどのスタイルだったか? 日本に到来した最初の本はどんな形だったか?
一つの答えが池澤夏樹と秋吉輝雄の対談「ぼくたちが聖書について知りたかったこと」(前掲)に示されています。秋吉氏によると、最初の聖書(旧約)は、2500年ほど前、イスラエル諸部族に口伝で伝わった物語やリストを広く集め、時代や地域の違いによる矛盾にこだわらず、すべて神の計画を明かす壮大な出来事として編纂された手書きの巻物(スクロール)だったそうです。
面白いことに聖書に書かれたブライ文字には母音がなく(表音文字なのに珍しい)、説教者が一々母音を補って音声に変えたのだとか(そうでないと意味が伝わらない)。すなわち聖書は本来、黙読ではなく朗誦を前提としていたという話です。長い巻物ゆえ途中を飛ばすことなく、会衆は1年程の時間をかけて「モーセ五書を聞いた」わけです。この「巻物化」により聖書は「朗誦のもつ聖性」を獲得し、今日まで伝えられて来たというのが秋吉氏の指摘です。
池澤氏が言うには、永続性のあるテクストには、長いヒモのような構造をもつ形式(聖書のような巻物)と、平面に行と列があって文字が記されている表のような形式(帳簿のような冊子)の二つの異なる形式がある。これらは「聖性」と「実用」という文字の起源にも深く関係している。巻物は扱いが不便なため次第に冊子(コデックス)にとって変わられるが、中世になると冊子にページ番号や小見出しがつき、インデックスが付されるようになった。
つまり、初めは一本のヒモだったものが折り畳まれ、ページに収められて次第にカード化していく。それにつれ人は音読から黙読に移り、読書という行為の中身がすっかり変わった。別に言うと、中世から近世にかけて「祈り的なもの」が帳簿化され、巻物に残っていた朗誦の聖性も失われた。その変化の最終形が「ウィキペディア」だろう。完全に無関係のバラバラの短い文章が標題のアルファベット配列以外の何の秩序もなくそこにある。冊子が「表」にまで解体されてしまった。以上が池澤氏の指摘の概略です。
言えてるなあと頷きながら長々と引用してしまいました。この本は私にとって昨年の「book of the year」です。巻物(スクロール)が書物の本来の姿であったらしいことは私も納得します。しかし水は低きに、人は便利に流れますから巻物の復活はあり得ません。キリスト教会の説教をネットで覗くと、牧師さんが「ダニエル書1節の6、教会備え付け旧約聖書1379ページ」などと聴衆に案内しています。聞く人はページ手早くめくって該当箇所を見るのですが巻物ではこうは行きません。
ついでながら霧隠才蔵はたしか忍術の巻物をくわえ両手で印を結んでいました。くわえているのが冊子だったらパロディです。土遁の術は何ページに書いてあったか?なんてよして欲しい。原本が見つかっていない「五輪の書」も巻物であったはずです。
冊子化は知識の普及に大きく貢献してきましたが、それと同じくらいの程度で人間の思考を深めることは出来ていません(と思います)。音楽好きがよく言うところの「デジタル化により失われるアナログの良さ」にも通じる話です。こうした文明的なギャップ(広さと深さの二律背反)を小さくすることに社会的に取り組むことはできないものかと思わずにいられません。
冊子もネット記事も知識のつまみ食いにとても便利ですが、私は自分がつまみ食いをしている自覚を持っておこうと思っています。コスパ・タイパが此岸ならスクロールは彼岸です。私は彼岸が慕わしく感じられます。これは年齢のせいか、他の人に共通するものか分かりません。羊皮紙から入り和紙の素晴らしさについて書くつもりでしたが話がどんどんそれました。2月8日に詩人・金時鐘の講演会を聞きに行きますが、次回はそれについて書く予定です。
はないし、冊子はつまみ食いに便利だし、
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