大津市政12 ~教育行政~ 首長と教育行政

 ここでは前項に続き、内部事情として越市長と教育委員会との関係を見たいと思います。
 内部といっても教育委員会は自主性、独立性を持った存在であり、その根幹に関わる問題を見ていきます。

首長と教育行政

 すでに見たように越市長は「選挙で選ばれた自分の考えは市民の考えだ」という発想のもと、学校教育にも積極的に「関与」しておられます。そもそも、越市長はいじめ事件を契機として教育委員会廃止を主張されるに至った首長であり、こうした「関与」も越市長のお考えによれば「制度の不備を補い時代のニーズに応える教育改革の一環」なのでしょう。
 しかし、越市長が高い教育理念と見識の持ち主であったと仮定しても、そのことと教育行政に市長が関与することは別次元の話です。越市長が個人的信念を教育現場に政策的に強く押し付けることが許されるとすると、市長が交代して異なる教育理念を持つ市長が登場し、「前任者のやったことは廃止して私の信念を実現していく」と言い出した場合に、それを阻止する論拠がなくなってしまいます。政治が地方教育行政に関与することを一度認めたら、その後教育現場は首長選挙があるたびに教育理念、教育方法、教育プログラムを変更しなければなりません。それによって最も混乱するのは現場の教師であり、一番の被害者は子どもです。

 学校教育の役割は人間社会に蓄積されている文化を子どもたちに伝達し習得させることであり、子どもが将来、社会で人間として生きていくために必要とされる基礎・基本を培うことです。
 さらに、環境の変化に対応できる新しい文化を生み出し社会を更新的に存続させるために必要な能力を子どもたちに育成する役割も求められています。こうした、既成の文化の習得と文化を創造する能力の育成のために、学校は、子どもたちが自律と他人への思いやりをもち協同して問題解決をやり遂げるという経験を積み重ねる場でなければなりません。
 こうしたことから、公教育に携わる教育行政の責任者には腹をすえ、腰をすえてゆっくりと進める姿勢が求められています。

 「ゆっくり」の程度は、1期4年、2期8年どころではありません。教育現場の常識や専門家の
知見においては10年単位の尺度で語られており(学習指導要領もほぼ10年で改訂)、ある教育方法を導入してから効果を検証するまでには20~30年を要するという見解も一般的です。
 これに対し「社会の変化のスピードに対応していない」と批判するのは見当違いですし、もし4年の任期中に目に見える結果を出したいと考える首長がいるとしたら見識を疑われます。
 このように教育は、社会の存続に関わる息の長い営みであることから、教育基本法、学校教育法において、「政治的中立の確保」、「継続性・安定性の確保」、「地域住民の意向の反映」がうたわれ、首長からの独立性・合議制・住民による意思決定(レイマンコントロール)をもつ執行機関として教育委員会が運営されてきました。

 そして今回の地教行法改正においても、政治的中立性の確保に重きがおかれ、教育委員会は引き続き執行機関であり、新たに設置された総合教育会議でも首長と教育委員との協議調整は行うものの最終的な執行権限は教育委員会に留保されることとなりました。
 こうした教育の重要性と特殊性を踏まえた長年の知恵と経験の蓄積により、いまの法と制度があることをどれほど重く受け止めるか、これまた首長の見識と資質の問題だと思います。

9 件のコメント :

  1. このブログにおいては「市民(市民団体)」って書いてますが、市民と市民団体は決してイコールではないです。貴方のいう「市民のため」は、「市民団体のため」なんですね。でも、市民団体の中にも色々な意見があります。市民団体の役員をされている人の意見と、そのメンバーの意見は違います。団体が大きくなればなるほど、その解離は大きくなります。それに、市民全体としては、団体に入っていない人のほうが多いですよね。団体の役員の意見を尊重することは、そのまわりにいる人からすれば、癒着にうつります。団体の役員の意見が市民の意見だと思っている貴方には、一般市民の疎外感は、分からないのではないでしょうか。一般市民が市役所の職員に何を言っても、聞いてもらえません。それが、これまでの市役所のやり方で、それとは違う市長のやり方は、既得権の側からすると袋叩きに合うのでしょうね。

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  2. 市民団体と市民は違うという意見に賛成です。でも団体の役員の意見が市民の意見だという考えはブログから読み取りにくいです。ケースワーカーの挿話が書かれていましたが、それらから見て、この方は団体だけでなく一人の市民も視野に入る人ではないかと思います。
    団体が大きければ役員と会員に乖離があるという指摘も一般論としては正しいと思いますが、役員は越市長と面談して直接知る機会があるが、会員はそれがない。よって乖離が生まれることがあるかもしれません。
    私が見るに越市長の評価は、越市長に近いところほど低く、遠いところほど高い傾向があります。
    職員や団体役員から厳しい声が聞こえますが、越市長がお祭りや運動会に行くと喝采をあびるというのもうなずけます。

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  3. 私は、前副市長は、市民団体の意見と市民の意見が同じとは言っておられないと読めました。「明日の大津を考える会」のことを掲載されたのは、当ブログの主旨であるみんなで大津市のことを考えるための「ひとつの意見」として紹介されただけでしょう。前副市長は当初より越市長を辞めさすためにブログを開設したのではなく、本当の意味での市民のためのより良い市政運営となるよう市長を応援すると仰っておられますよね。これは決して『皮肉』で言っておられるわけではなく、本心でそう思っておられると私は思います。現職時代に越市長とは色々と確執がお有になったようですが、そういった「私心」を捨てて、大津市民のための「公心」でこのブログをやっておられるのは、まっすぐ普通にこのブログを読めばわかると思いますよ。
     それと「市役所の職員に何を言っても、聞いてもらえません」というコメントがありました。現役職員としてはとても胸の痛いお言葉です。これについては色々書こうと思ったのですが、どれだけ言葉を重ねても「言い訳」としか受け止められない気がして消してしまいました。私と同じ現職の職員の方々はどう思われますか?何かいい言葉はないでしょうか。

    名も無き一中堅職員

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  4. 一般市民が市の職員に何を言っても聞いてもらえないというのは、職員の私からすると実態をご存じない意見です。各課の窓口以外に市民相談の担当課があり、支所もあって、市民の声は毎日たくさんお聞きしています。隣の家の麻雀の音がうるさいという苦情など、いろいろなお声が寄せられます。実現できる要望とそうでない要望があり、仕分けして対応しているつもりです。私一人の意見ではなく職員ならみなそう考えているはずです。何かの根拠があって行っておられるのでしょうか?職員として腑に落ちないコメントです。全部の市民が100パーセント満足というわけにいきませんが、市民のニーズに応えるのが基本スタンスです。

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  5. 多くのコメントが寄せられており考えさせられる意見が多数で茂呂氏が言われる情報広場の趣きを呈して来ました。越市長に批判的な意見は自らの体験や見聞による具体的なものが多いのに対し、市長を擁護、もしくは茂呂氏を疑問視、批判する意見は、ブログの記述を取り上げたやや抽象的なものが多いという傾向があります。そして前者が圧倒的に多いというのが現実です。
    ついては、越市長も自ら意見を投稿されることをお勧めします。問題点がいっそう明確になり議論がさらに活発になるものと思います。何かとご多忙でしょうが、投稿なら簡単でしょう。本人確認の手段は茂呂氏と相談しておかれたら問題ないと思います。越さんも観戦の日々でしょうが、参加された方が生産的です。
    市民もそれを望むはずです。ホームページの市長の部屋より多くの市民に訴えられるものと思います。フェイスブックやツイッターをやる首長も多いので違和感はないでしょう。茂呂氏も歓迎されるはずです。
    実現したら、コメント欄がますます充実して、真剣に考えるひとが増え、市政にもプラスになるものと思います。

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  6. 越市長がコメントを投稿されたらどうかとのご意見に私も賛成です。越さんはきっといろいろな思いでブログを見ておられるでしょう。私たちも越さんの本音が聞きたいです。堂々と意見を言ってください。言っても掲載されないということはまさかされないと思います。

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  7. 首長は公人として雑音に耐えなければなりません。越市長も大変です。
    ブログでは双方向で的確に指摘ができす。意見コメントしてください。
    やり取りを見たら市民の判断材料です。

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  8. 越市長の意見をじかに聞きたいです。私も賛成。

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  9. 賛成。
    コメントお待ちしています。

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