2023/11/02

220)桐生あれこれ

  「また来はったであの兄さん。毎日や」「ほんまによ。精の出るこっちゃな」「よっぽどヒマやであれは」「旗もって通学路でも立たったらええのにな」「いや立ちんぼは務まらんやろ」「ほな草刈りか」「缶拾いでもええで」「ははははは」。上桐生駐車場の番小屋では婦人会の方々のこんな会話が交わされているかも知れません。いやまったく有益なことを何もなさず桐生の山道をほっつき歩いている私です。今回は日ごろ格別にお世話になっている桐生の山やお寺について書きます。

 桐生詣では2年ちかくになります。昔はジャンボお握りを持って家族で出かけ、その後は長らく夫婦でたどった山道です。今は一人で香ばしい空気を吸いながら緑と岩と水の間を歩くと、堂々めぐりの頭が次第に軽くなります。春はうぐいす、山ツツジ、夏はセミに野イチゴ、秋は萩やドングリ、冬は椿と雪上の小さな蹄の跡。リスは年中見かけるし、先日は曲がり角で鹿と鉢合わせしました。熊はいませんがスズメバチが我が物顔です。

 私が住む草津の中央部から草津川を数キロさかのぼると、信楽山地の北端部に位置する金勝山(こんぜやま)に達します。山の手前半分が大津市桐生で向こう半分は栗東市金勝。境界をなす稜線に登ると琵琶湖と比良比叡が一望でき、ふり返ると田んぼの中に三上山が置かれています。あたりの山々は低いけれど起伏と変化に富み、山頂一帯には侵食された花崗岩の巨岩、奇岩が立ち並んでいます。近江湖南アルプスと呼ばれる(少しほめすぎ)これらの山々が私のフィールドで、お茶を入れたザックを背に1時間半から2時間半いろんなコースを歩きます。ふもとまで車なので冷やした缶ビールのぐるぐる巻きを持参できません。

 ところで金勝山は土がやせているため樹木の成長が遅いけれど、その分だけ木質が稠密、堅牢であったとか。人もかくありたいと一言添えたくなるのは老化現象ですが、良材ゆえに奈良の南都七大寺、紫香楽宮、石山寺などの造営のため乱伐されました。やがて樹林が丸ごと消え、江戸時代には「田上の禿」という心ない名をつけられるに至りました。山には土砂をおさえる何物もありませんから水害が頻発し、やがて草津川の河床が上がって天井川となりました。明治政府は土留め、芝張り、植林など大規模な治山事業に着手し、大正、昭和を経てようやく今日の緑を取り戻しました。

 知る人ぞ知るオランダ堰堤は、明治15年、お雇い外国人技師のヨハネス・デ・レーケの指導、田辺義三郎の設計により築造されたもので、切石を階段状に積み上げた鎧型アーチダム。さすがに石材の角は丸まっていますが躯体はびくともせず今なお現役です。水は清冽で夏の滝つぼ周辺はプールサイドの賑わいです。少し下流に副堰堤があるほか、上流部の山中の各所に土留めの小さな石積みが残っています。初めてこの地を訪れる人は、山の奥深くにまで人の手が入っていることに驚かれるでしょう。

 美林の乱伐、伽藍の建造、治山事業等はそれぞれ活動の方向が異なるものの、大変な大事業である点に変わりありません。ちなみにかつて切り出した木材は瀬田川に一本ずつ浮かべ(管流し)、木津川合流点で陸揚げして筏に組みなおし再び水路を下ったそうです。紫香楽方面へは最初から陸路だったでしょう。人力主体の時代です。ミミズを運ぶアリの群れのような作業。運搬に続く建築の工程はさらに大変だったでしょう。ピラミッドや万里の長城もしかり。こうした人間の業(わざ)には賛嘆と同時に驚き呆れる気持ちが生じます。

 金勝寺は、733年、聖武天皇の勅願により、平城京の東北鬼門を守る国家鎮護の祈願寺として東大寺別当の良弁僧正が開きました。この寺は瀬田川方面から見ると一つ奥まった山中にあり、一帯には乱伐から逃れた杉の巨木が立ち並び、霊場にふさわしい雰囲気を漂わせています。昨年、雪の深い日に金勝寺を訪れました。その日は山門に人がおらず入山料は自主納付で境内にも人影がなくあたり一面は白。門の両脇の朱塗りの仁王像やお堂の仏像は威厳と迫力がありました。冷え切った本堂にホットカーペットが敷かれていたのには感動しました。

 私は今日まで信仰を持たず(それが自分に幸いかどうか不明だし、そもそも「幸い」という尺度が心得違いかも知れません)、お寺、神社、教会等をまず建築物として見てしまいます。しかし一方で、建物および周辺の空間に他の施設にはない何物かが漂っていることは不信心の私にも感知されるのです。長い歳月にわたって無数の人々が捧げてきた祈りのベクトルが堂宇に染み込み、あたりに反射しているとでも言うのでしょうか。人が手を合わせ頭を垂れるのも自然な話です。

 まことに建物と人とは感応しあいます。不思議です。住人が去った家は、風を通していても魂を抜かれたように傷んでいくし、反対に、例えば音楽ホールはコンサートが繰り返されるうちによく響くようになるそうです。山下達郎氏の話だから間違いありません。これには部材や構造体の経年による物理的変化だけでは説明できない何か(使い込まれた楽器がよく鳴る現象を越えた何か)がありそうです。こうした建物と人の相互作用は宗教施設において顕著に現れるのかも知れません。

 のんびりしたことばかり書きましたが社会は緊迫しています。自衛隊が南半球のオーストラリアまでいって向こうの軍隊と一緒に訓練すると報じられましたが常軌を逸しており、辺野古の代執行訴訟もひどい話です(もちろん国が)。海の向こうではロシアが侵略をやめずイスラエルは難民キャンプに爆弾を落としました。国の内外を問わず悪事を命ずる人間はグラス片手に安楽椅子に座っています。私も茶の間で座布団に座って泣き叫ぶ彼の地の人々を見ています。

 ウクライナでもパレスチナでも毎日毎時、人が亡くなっています。とにもかくにも戦闘を一旦ストップできないものか。敵と味方の信じる正義が異なり戦力に差があっても、双方が同時に銃口を下ろさないと終わりが見えません。素人の夢想ですがまず戦いを停止させ、停止が蘇らせる「何物か」に希望を見いだすほかない気がします。ガザ休戦の国連総会決議を日本が棄権したことを岸田氏はもっともらしい顔で説明しますが、これは思想的に誤りです。パワーバランスの信仰からは戦争のループの出口が見つかりません。支援金も結構ですが日本国憲法をもつ国ならではの外交の道を模索すべきだと思います。







 

 

 







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