2015/12/29

75)まちづくりの課題解決に向けて(前編)

 大風呂敷のタイトルで恐れ入ります。まちづくりの課題は大きく深い話であり、一個人の私に妙案があるはずもありません。ここではネット上の「情報広場」に向け、謹んで私の感想を提出するだけです。本来、課題解決の第一歩は①市長がまちづくりの哲学あるいは理念を持つこと、②それを市民に語りかけること、③それに市民が応じることであると思います。
 
 条件①および②は現状ではとうてい困難です。越市長は資質、姿勢、実績においてとてもその域に達しておられないというのが私の意見です。もし越市長にご異論があるならば是非伺いたいところです。越市長の哲学の開陳をもっとも待ち望んできた者の一人が私です。
 しかし、今ここで述べようとするのは大津市の内部事情ではなく、「国の政策」や「国と地方との関係」です。これを前編とし、後編には地方の問題として「大津の可能性」を考えたいと思います。

 いま国は本格的な人口減少社会を迎えて「まち・ひと・しごと創生長期ビジョン」を打ち出し、日本の一大事に際して地方も頑張れとラッパを吹いています。全国の自治体がこれに呼応し、大津市も「総合戦略」をつくって対策に着手しようとしています(この戦略については前々回、73の記事で少しふれました)。それはさておき、そもそも論を考えてみたいのです。
 
 国の長期ビジョンは「人口減少・少子化対策」、「成長戦略」、「地方の活性化」の3つの狙いがあり、中でもクローズアップされているのが人口減・少子化です。その原因は地方にはなく、非婚、晩婚の女性にもありません。ひとえに国の人口政策によるものです。
 また、東京一極集中にしても、故郷を後にする若者に責任はなく、国の都市政策の結果です。
 その後始末のため国が「長期ビジョン」のラッパを吹き鳴らしているように見えます。
 
 かつて、社会が成熟し活力を失うことは先進国の避けがたい道とされ「英国病」の言葉もありましたが、1980~90年代に有効な対策を講じた国とそうでない国の二極化が進んでいます。
 北欧諸国は税率を上げる一方、出産、子育て、教育、医療の負担をゼロ近くまで引き下げ、フランスは経済支援より保育の充実や出産、子育てと就労に幅広い選択肢を用意しました。この結果、スウェーデン、米国では人口が1985年ごろに人口が回復に転じ、フランスは1990年頃、イギリスは2000年頃に立ち直って、合計特殊出生率は1.9~2.0を維持するようになりました。
 このように先進国の宿命とされていた少子化・人口減少はすでに世界的に克服されつつあります。

 それに引き換えわが国の無策ぶりは目に余ります。人口の急減は世界のワーストグループで、特に大都市ほど子どもを生み育てにくい状況となっています。一極集中の東京の合計特殊出生率はわずか1.15であり、これが全国の少子化の原因であることを国も認めています。
 国は地方創生を言う前にまず、これまでの無策を懺悔し、「国策」として少子化・人口減の歯止めに全力をあげる必要があります。
 ちなみにいつも感じるのですが、国とは、あまり反省を語らない存在のようです。人口政策だけでなく原発政策、年金記録、長く人権を無視した「らい予防法」、国立競技場の問題等々、責任ある人から真摯な反省の弁を聞いた試しがありません。
 
 話を戻しますが、大都市圏VS地方(地方都市や田舎)という枠組みで考えないと、地方は小さなパイを奪い合って共倒れになりかねません。記事73で書いたように、地域共闘によりもっと大きなパイを寄こすよう国に求めることもありだと思います。もっとも国は、地方にいわれるまでもなく都市政策として人口と経済活動の極端な偏在を是正すべきです。地方への税源移譲も積極的に進めるべきです。

 この10年で人口が増加したのは滋賀県を含め幾つかの県や都ですが、今後10年の増加見込みは東京だけ、その中身は社会増(毎年10万人!)であり、この首都圏への人口集中(30%)も世界的に見て異常です。より早くに強力な首都圏を形成した英、仏では10数%、独、伊、米はそれ以下。日本は半世紀をかけてせっせと特異な一極集中を進めてきた歴史があり、併行して他の大都市圏と地方の衰退が進んできました。

 一方、国の調査では東京に集まった住民の4割が脱出を希望しており、国の総合戦略でも受入れ体制をとるよう地方に求めています。しかし地方にとって、働き疲れて戻ってくる人々は基本的にウェルカムながら、医療、介護の問題がすぐ後を追いかけてきます。頼みの綱の国の社会保障政策も、これまで場当たり的な対応を重ねてきたと思います。

 何やら年末放談の様相を呈してきましたが、要は大津市にとってもたいへん重要な「地方創生」の取組みに際して、国と地方の役割の区別を見極めること、国の役割の遂行に対し地方が束になってものを申すこと、その上で地方は自分の役割をきちんと引き受けることが大切です。そうでなければやがて日本全体が「じり貧」になりかねません。
 越市長の作られた「まち・ひと・しごと創生総合戦略」には、こうした問題意識が薄く、施策も厚みを欠いたものとなっています。

 ではどうすべきかと問われると私も困るのですが、少なくとも地域コミュニティの意義を正面から論じ、その再生を図ることを基本に据えるべきであると思います。
 越市長にはこの視点も希薄です。市民センター(支所・公民館)の統廃合への姿勢をみるだけでよく分かります。
 前半はこれくらいにして、次回は地域コミュニティの再生について考えてみたいと思います。







 

1 件のコメント :

  1. このブログで示された大津市政のあるべき姿は、満漢全席を思わせる素晴らしいものでした。
    これを具現化できるのは、ほかならぬ茂呂さんしかいないと確信したのは私だけではないはずです。
    副市長退任の日に大勢の職員が見送られましたが、今度は市長として戻ってほしいと思われた方が少なくないのではないでしょうか?
    絵に描いた満漢全席ほど残酷なものはありませんよ。
    ぜひぜひ、ご自身のライフワークとして取り組んでください!

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