2019/11/28

100)裁判報告①~幻の告発状~


 今年の夏、枝の剪定中に塀から落ちた友人がいます。この度の証人尋問が無事済んだので、広島の山あいの町にその友人を訪ねました。私が持参した近江の酒「大治郎」と庄原名産「比婆美人」を盛んに呑み比べる彼の様子を見て大いに安堵しましたが、こうした事情で公文書裁判のご報告が遅れました。

 さて、11月19日の「大津市公文書裁判」の傍聴席には数名の市職員やOB、市議会議員の姿がありました。いずれも当時の状況をよく知る人や本ブログをご覧の方ですが、双方の証言を聞いてどのように感じられたでしょうか。このうちの一人である「I氏」が、原告(および私)あてに手紙をくれました。今回はそれに寄りかかって書きます。

 Iさんは現役時代に「鬼刑事」として恐れられ、敬われた人で、その後しばらく大津市の総括調整監(不当要求行為等担当)として活躍されました。私も課長や部長時代、Iさんの心強いサポートを頂いて不当要求者に対応したことが何度かあります。そのIさんが、私の証言を聞き、自分もこれだけは言っておきたいと寄こされた書面です。

 以下はIさんの言葉で、ご本人の了解を得て手紙から抜き出します。まず冒頭。
~ 勝ちましたね。傍聴してよくわかりました。〇〇さん(原告)、茂呂さんの証言は良かったですよ。〇〇さんの「真実は一つ」の最後の言葉。茂呂さんの「涙のフィナーレ」の意味するところは裁判官も感じ取ったはずです。それに比べ被告側の証人は失敗でした。~中略~

 〇〇氏も終始ボソボソと言い訳や逃げ口上の口ぶりだけでした。甲57号証でしたか、その場にいた者は記憶が残っていますし、雰囲気や情景が分かっていますから時間はかかってもテープ起こしは出来ますが、なかなか第三者ができるものではありませんし、結構な作業ですから何年たっても忘れることはありません。それなのに自分がしたのか、誰かに頼んだのかも明確に答えられない。
 甲56号証の報告書に〇〇の印鑑が押しているのに、本人自身が互助会会議室で上司と一緒に対応しているのに、作成したこともあいまいになってしまう・・・これでは裁判官の心証は得られません。~中略~ 

 昨日の茂呂さんの証言で越市長が「検察が起訴すれば99.97%有罪です」と言った、とありました。それは平成25924日のことで、実はそのとき私も一緒に市長室に入り、「99.97%だからこそ、この件は起訴できません。起訴すれば無罪になります」と市長に言いました。(茂呂注:当時、女性職員Aさんが本件原告を強制わいせつ罪で告訴していました)

 市長は当時の〇〇〇三席検事にべったりの感じで、私が「市長が検察と話をするのなら検事正か次席検事とするべきです」と主張しましたが、市長は「私は〇〇〇さんと会います」と言い張られ、翌925日にわざわざ検察庁に出向き三席検事と話をされました。
 三席検事はその前から告訴の取り下げ、和解について市長や茂呂副市長に圧力をかけていましたが、これが最終通告みたいなものになっています。

 私自身は〇〇さん(原告)がどのように判断するのか、もし市長の指示で告訴を取り下げるようなことになれば〇〇〇検事を「公務員職権濫用」で告発しようと本気で考えました。そこで急いで告発状を作りました。とりあえず告発事実まで書いたのですが、〇〇さんは市長の不当な指示に応じませんでした。(茂呂注:原告がAさんを虚偽告訴罪で告訴しました。これに対し市長および私が「逆告訴」を取り下げるよう何度も原告に迫りました。この事実を私は陳述書および証言で述べています)

 そうこうしているうちに1011日付で起訴されたことを知りましたので、告発状は陽の目を見ることがなかったのですが、私が本気であったのは、当時茂呂さんに「〇〇さんが取り下げれば〇〇〇検事を告発します」と言って告発状の案を見せた覚えがあるのと、そのころ警察本部に行ったときに当時の〇〇課長にもその旨を話したことがあるからです。思い出の幻の告発状ですが、当時作りかけたものがあるのでコピーして同封します。これが今回手紙にした理由です。~引用はここまでです。

 Iさんはこの時に限らず、不当要求行為や市役所の爆破予告などの対応協議の際、二役の協議に加わって常に自らの信念にもとづく意見を述べられ、私は深く信頼していました。この手紙の内容は事実です。私は陳述書(本ブログ記事85~86)でも証人尋問でも述べましたが、越市長が検事とやり取りをしつつ副市長であった私を通じて原告に対し執拗に告訴取り下げと和解を指示されたことを、この手紙は別の角度から証言しています。

 この手紙には、市役所以外の機関における当時の事情(驚きの事実)も書かれていますが、ここではご紹介しません。同封された「幻の告発状」を見て、私も当時のことをありありと思いだしました。このように市役所には気骨のある人、臆せずものをいう人、我がことのように町の未来を思う人など素晴らしい人材が多数いるのですが、それらの人々の姿が今は埋もれています。

 その一方で、被告側証人の出廷に象徴される「踏み絵」などによって職員の間に相互不信がもたらされています。私は証人尋問で「最後に言うことはないか」と聞かれ、こうした事情を説明しようとして不覚にも涙が出て言葉が途切れました。「涙のフィナーレ」はこれを指しており、翌日の新聞に書かれずにほっとしたのですが、行きがかり上ここに書いてしまいました。なお、引用した手紙の中で固有名詞を伏せたことを申し添えます。これから順次、裁判の模様を報告していきます。





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