2019/12/29

115)公文書裁判⑭~問われているのは何か~

 大津市の「公文書廃棄」と「不祥事隠ぺい」をめぐる裁判(非公開処分取消訴訟)は最高裁まで争われ、三審とも市の敗訴に終わったのはご承知のとおりです。ついで提起された損害賠償請求(本訴)は、既に証人尋問を終えて来年2月の結審を待つばかり。並行して、越市長が最高裁や審査会を無視するかのように隠蔽を続けることに対して第2次となる非公開処分取消訴訟が提起されており、来年2月に第2回公判が開かれます。

 既に終わった訴訟、終わりかけの訴訟、これから本格化する訴訟と3つの裁判がありますが、共通して問われているのは「市民の知る権利の保障」と、それを担保するべき「市長の姿勢」です。

 大津市は、市の憲法ともいうべき総合計画において「知る権利を尊重した情報公開の推進」を掲げ、また、情報公開条例第1条で「公正で透明な信頼される市政の運営に努め」ることを宣言しています。ところが、市長の判断一つで、これらの根幹的な理念が空文化されました。

 また、越市長は、マニフェストで「大津市の見える化『市民への情報公開と情報発信』」を掲げていますが、これもあっさり反故にされました。折から国レベルでは、森友学園、加計学園、イラク日報、桜を見る会などの公文書の隠ぺい・廃棄が問題となっています。これらに比して大津市の問題は至って小規模ですが構図は同一です。

 共通して根底に権力の腐敗があり、それは厳しく指弾されるべきですが、その培地となっているのはタガが外れてしまった私たちの社会ではないでしょうか(こうした状況について選挙、民主主義、公などの問題と絡めて論じたいのは山々ですが、残念ながら力が及びません)。いま、政治家の質と共に国民の意識も問われていると思います。

 さて、越市長の姿勢について、第2次訴訟の訴状は次のように述べています。

~越市長は自身の極めて偏った観点から物事を判断して公文書の非公開を決め、その後に何度もあった軌道修正の機会を無視して非公開路線を続けた。そして、思い通りにならないと税金を使って上訴を繰り返し、そのくせ最高裁決定には従おうとしなかった。

 また、行政の公平性を担保する機関である情報公開・個人情報保護審査委員会の答申もどこ吹く風。さらに、公開請求や異議申立のさなかに対象公文書を廃棄したことを「適正だ」と強弁し、その経過を調査をする気もまったくないと広言している。

 こうした姿勢には弁護士市長のコンプライアンスのかけらも感じられない。市長の指示ひとつで担当職員の対応が180°変わることになるのに「私はまったく知らない」と責任を転嫁している。このような市長が、市民の知る権利を尊重する気があるはずがない~

 勝手ながら表現をマイルドにしましたが、訴状の要旨は以上のとおりです。そしてこの要旨に私は全面的に賛同するものです。なぜなら、それが事実に即していると私が知っていますから。さらにつけ加えるなら、この一件では、税金ばかりでなく職員も浪費されました。
 人事課、総務課、市政情報課、その他関係職員の人々のパワーが、筋違いである本訴の対応に充てられました(元人事課長だけは別です)。私は、正義にもとる訴訟を長年にわたって恣意的に継続することが関係職員の意欲とモラルを大いに削いできたと思います。このことも鋭く問われるべきです。トップの責任は限りなく重いと考えます。







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