2019/12/01

102)後継者(2)

「公」を考えるブログ「大津通信」を書き継ぎながら、安倍政権と越市政の相似性について考えないわけにいきません。「国民、市民に対する根本的な軽視の姿勢」、「公と私の境界線のあいまいさ」、「不都合な真実の糊塗、隠ぺい」、これらに起因する「公文書への徹底的軽視」、さらには「シュレッダーへの偏愛(シュレ・フェチ)」にいたるまで双生児のようです。

 権力に腐敗はつきものと言いますが、この相似をどう考えればよいのでしょうか。
 霞が関と御陵町では月とすっぽんのパワー格差ですが、漂う腐臭は似通っています。そうした中で突如現れた越市長の後継者。「行財政改革」のバトンを引き継ぐのだと聞きました。どのような人々がどのような認識のもとに応援をするのか、おおいに興味をそそられます。

 もちろん立候補は個人の自由であり、公約も好きに掲げればよいのですが、この人は本訴の中心人物です。ずっと人事課に在籍し、「セクハラ申し出」の調書作成、不当要求行為者への対応と報告書作成、一連の情報公開請求に関する起案作成、「不当要求行為の隠ぺいはない」とする記者会見の対応、情報公開審査会への説明、該当する公文書の廃棄処分等に携わりました。いずれも重大な案件です。
 もし、これらの行為がいずれも適法であり、かつ市民の利益に合致するものであれば「最大の功労者」と言って差し支えありません。しかし、真実がその反対であるならば、越市長と共に一連の不法行為の「共同正犯」として糾弾されるべき人です。

 私の見解は既に掲載した「陳述書」や「回答書」のとおりです。この件について私と共に繰り返し事実を反芻してきた原告も、私とまったく同じ認識を持っています。実のところ同じ認識などという生易しいものではなく、原告の場合は、我が身をかけて一歩たりとも譲れない骨身に染みた真実なのです。原告に対する越市長のパワハラの片棒を担いだ私もまた、いつまでも過去の過ちの傷口がふさがりません。越市長および後継者等の行為は今大津地裁で審理されており、結審は来年2月です。 

 私としては、後継者が市役所を去る前に越市長と共に真実を語って頂きたいと切望します。しかし、この人の陳述書を読み証言を聞く限りでは、いまだ胸の内に秘めている事実が沢山あり(私はよく知っています)、法廷で言葉少なに語られた内容も不正確かつ曖昧なものでした。
 こうした形で踏み絵を踏んだことを、この人のために残念に思います。最後まで公務員としての務めをしっかり果たした上で、誰に恥じるところなく新しい世界に船出していくならばどんなに良かったでしょう。こうした終わり方をするとは、この人自身思っていなかったはずです。毒食わば皿までか。このような人を後継者とする越市長は一体、どんな神経をお持ちなのでしょうか。

 私は従来から個人攻撃をする気持ちはまったくありません。少なくとも今までは、越直美さんと私自身の名前しかブログに載せていません。残念ながら特定の支持政党もありません。そして何より越市長は公人ですし、後継者も公務員から公人へ移ろうとする人です。そうした人達の公務にかかる振る舞いについて、私は「公」の視点から意見を述べているに過ぎません。述べては嘆息の繰り返しですが、どんなに回り道をしてもいつかは真実が明らかになるであろうと思います。
 「公」の実現も似たところがあり、いまだ空虚な容れ物として世の中に存在している「公」の理念に私たちみんなが各自のやり方で肉付けし、中身を充填していく途方もない共同制作であると考えます。このことは別に書きたいと思いますが、そろそろ裁判の報告に戻らなければなりません。次からは後継者の証言を事実にもとづき検証していきます。








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