2019/12/26

112)公文書裁判⑪~茂呂証言~

この裁判は、原告が大津市に公文書の開示を請求しましたが、市が、存在する文書をないと言ったり、開示すべき文書を開示したりしなかったため、原告が損害を被ったことによる裁判であると認識しています。

 当時、大津市の女性職員Aさんが「セクハラを受けた」として原告を告訴し、反対に、原告は虚偽告訴罪でAさんを告訴していました。二人の職員がお互いを訴え合うという状況の中、市長から私に対し、「原告の告訴を取り下げて和解するよう原告に伝えて下さい」と指示がありました。

 弁護士でもある市長から「起訴されたら99.97%の確率で有罪になる」と言われたので私自身もそれは避けた方がよいと考え、市長の指示をそのまま原告に伝えました。大津市長からの指示を、私は少なくとも6、7回は原告に伝えました。実はもっと何度も言われましたが私の中でとどめたこともあり、一回ごとに残さず伝えたわけではありません。

 市長が繰り返し原告に取り下げと和解の指示をすることは、明らかに行き過ぎだと思っていました。私としては、市長から原告への指示は1回で充分だと考えていました。市長の指示を副市長から繰り返し聞くことは、原告にとり大変なプレッシャーであったと思います。
そこで市長には「いくら何でも行き過ぎです」と意見を述べましたが、市長は「副市長の伝え方が悪いに違いない」という感じで不満感を示されました。そして、原告が自分の思い通りにならないことにいら立っておられました。

平成25322日の不当要求行為の現場を直接には目撃していません。この事件直前に、女性職員Aさんが秘書課の前で「市長と話したい」と騒いでいるとの報告を受け、秘書課職員に「つまみ出せ」と指示しました。その後に外部の人間までやってきて大騒ぎとなったことは、職員課の職員から後で報告を受けました。

まずは、口頭で報告を受け、その後に報告書やテープ起こしの資料を受け取りました。これは前年の「セクハラ相談」から続く継続案件でしたから一連の報告書や決裁の写しを綴じたファイルがあり、それを副市長室に保管していました。その後の報告と共に受け取った資料もそのファイルに継ぎ足していました。当時、市長も私と同じファイルを持っておられたことは間違いありません。重要な報告の場合、市長、副市長、部長など幹部職員は手元に関係資料を保管するのが習わしであり、また、私が本件の報告を受けた際には、必ず市長にも報告するよう職員課に指示していました。

私は、これを悪質な不当要求事案であるから然るべき処分をすべであると考えていました。市長には、再発防止のためにもよく検証した上で関わった職員を処分すべきだと申し上げましたが、「情状酌量の余地がある」とのご意見でいまだに処分はされていません。これは、情状酌量の範囲を大幅に超えた事案であり、原告への態度と対照的であったと思います。
Aさんの父に対し厳重注意があったと説明されているそうですが、私は懲戒審査委員会の委員長でしたから私の関与しない処分はあり得ません。いまだに本来の処分は行われていないと思います。

各文書の開示請求について、一つ一つを細部まで覚えていません。起案書の8ページを見たはずだと言われても分かりません。しかし、大きな流れはしっかり記憶しています。当時、私も職員課も、請求に応じて公文書を公開すべきであると考えていましたが、市長一人が絶対反対でした。そのため、市長の指示により、公開されることはありませんでした。原告および代理人弁護士は様々な方法で公開請求を行いましたが全て越市長が拒否しました。

 市長とは、文書の公開について随時協議していました。私は、文書は開示すべきであると進言していましたが、市長は、「女性職員の個人情報の保護が一番である」との一点張りでした。その理由については、市長は、「女性の味方」を標榜されていたので、その影響が大きかったと思います。

 元人事課長は、原告から出された個人情報開示請求に関して、当初は「一部開示」の方針で決裁文書を回していたが、決裁をすべきいずれかの職員から疑問を呈されたと陳述書で述べていますが、それはあり得ません。当時、越市長以外は、全員開示すべきであるという意見であったからです。

 個人情報開示請求の前に公文書公開請求が出された際、越市長の指示で非公開としました。しかし今度は、原告が自分自身の情報を請求するのだから「個人情報の保護」という拒否の理屈は成り立たない。今度こそ越市長も了解されるだろうと職員課の複数の幹部職員から私は聞いており、私も、今度こそと期待していました。

 そういう状況のもと、「部分開示」の決裁を見て、これはおかしいと反対する職員などいるはずがないのです。万一そうした意見が出されたとしたら、まず私に相談があるはずですが、まったく何もありませんでした。部分開示に疑義を出す者がいるとすれば越市長以外にはありません。

 甲45号証(怪文書)、甲56号証(不当要求の報告書)、甲57号証(不当要求の録音反訳)は、いずれも見たことがあります。見たどころか、既に述べたように職員課からもらった関係ファイルに綴じて副市長室に保管していました。甲45号証(怪文書)は、議会からも秘書課からも報告がありました。秘書課で受け付けており、保有していないはずがありません。それらの文書の保存期間は、その重大性に鑑みて少なくとも10年が妥当です。

 訴訟の対象になっている公文書を廃棄することは、断じてありません。そもそも市役所には「記録はわが身を守る」という考え方があります。法にしばられ、市民の視線を感じつつ仕事をする公務員にとって、「自分が公平・平等・適正に市民対応し、事務処を行った」という事実を証拠立ててくれるものは第一に記録です。それは、公務の正当性を担保し、職員および組織を守ってくれる絶対的な「お守り」です。人によっては保存年限を過ぎても残しています。大津市は被告なのに、どうして自分を守ってくれる公文書を廃棄するのですか。あり得ません。

テープ起こしには決裁印がありませんが、こうした記録文書にハンコがあるかないかよりも中身が重要ですから、ハンコの有無で保存年限を決めたりしません。懲戒処分を検討する場合もこういった詳細な記録が根拠というか決め手となります。それを廃棄することは考えられません。

 大津市が、開示すべき文書を開示しなかったり、有るものを無いと言って隠そうとしたりするのは、結局のところ越市長が不適切なことをしてきたことを知られたくないからだと思います。具体的には、「市長が原告に示談するよう何度も圧力をかけたこと」、「検察官とやり取りしたこと」、「起訴状をマスコミに公開するといったこと」、「不当要求行為を野放しにしたこと」などが、芋づる式に明るみに出ることを恐れたのだと思います。

 さらに言うと、もしこれらの文書が実際に公開され、適切にマスキングされて人目に触れた場合、それを見た人は残らず「これがそこまでして隠すべき公文書か?」と驚くはずです。そして、「被害女性の保護」という越市長の理屈にまったく正当性がないこと、すなわち越市長が不当にも隠ぺいを押し通してきたことが明るみに出ます。すなわち、非公開の不当性が明らかになること自体を越市長が恐れていることも隠ぺいの理由だと思います。

 最後に言うことといえば越市長の職員の扱い方です。大津市の職員が越市長によって踏み絵を踏まされています。この法廷で職員同士が争うことになりました。出廷しなかった職員も含め市役所に亀裂が入っています。元は仲間でしたし、今後とも共に協力して公務に励むべき間柄です。越市長のために大津市役所の組織が損なわれていることが私は一番残念です。


<後記>

 話の継ぎ目が飛んでいるところがありますが、様々な質問に対する答えだけ並べたことによります。自分の証言を自分で記録するわけにいかず「逐語訳」ではありませんが、証言の要旨としてお読みください。申し上げたとおり証人尋問の記録は110日以降、大津地裁で公開されます。

 私の証言はすでにご紹介した「陳述書」と「意見書」に沿ったものです。新たに加えるとすると、陳述書の中で、公文書の公開について「市長がどうしてもあかんと言ってはります」と残念そうに報告にきた職員は、当時主幹であった元人事課長であり、先ごろ越市長の指名を受けた後継者です。従ってこの人は、市役所と大津市の今後を左右することになるかも知れない重要人物であり、「見きわめられる必要」があります。そこでその証言の要旨の一部を改めてここに再現しておきます。

~私(元人事課長・後継者)は、一部開示の起案を作成し持ち回り決裁を受けた。その途中で、今となっては誰だかよく覚えていないある人物から、一部開示はおかしい疑問が出された。
 そこで、人事異動で多忙を極める年度末であったが、関係職員で協議を重ねた。その結果、やはり全面非開示とすべきであるという結論を得た。

 それに従い起案書を手書き修正したが、肝心の標題部分の『一部開示してよろしいか』という箇所を『非開示としてよろしいか』に書き直すことを忘れてしまった。
 また、請求者あての通知書も『一部開示決定通知書』から『非開示決定通知書』に差し替えるべきところも忘れてしまった。

 さらに他にも修正を忘れた箇所がいくつかあるが、すべて事務処理上のミスである。そして、修正した決裁は一から回しなおしたが、決裁者の誰もがこのミスに気付かなかった。それも持ち回り決裁の場合にはあり得ることで、特に不自然なことではない。~

 この証言は、他の証言と同様司法の厳正な審判を受け、さらに法廷が公開であることから多数の市民および市職員の評価を受けることとなります。その結果は果たしてどのようなものとなるのでしょうか。

 そもそも証言は(原告・被告とも同様ですが)、事実発生から「すったもんだ」があり時間が経過してから行われます。そこで後知恵によって取り繕ったり、言い訳をしたりということもあり得ます。しかし裁判では、証言は、証拠として採用されている大量の文書と照合され審理されます。ひょっとすると一般の方々は証拠書類をご存じありませんから、虚偽証言もフムフムと聞かれるかも知れません。ところが本訴の場合、11月19日に大津地裁に足を運ばれた方々の感想(複数の人から聞きました)は、「元人事課長の証言は全く信用できない!」という点で一致していました。

 元人事課長・後継者がこのような証言を行ったことについては、他の証人のように「踏み絵」を踏まされたのではなく、越市長と意を通じあったうえで自ら「踏み絵」を踏んだのであろうと私は推測します。後継者ですからそれくらい当然でしょうし、何といっても当事者が証言拒否するわけにはいかなかったでしょう。共通して深刻な課題を抱える越市長と後継者については今後触れる予定、類は友を呼ぶ話です。







0 件のコメント :

コメントを投稿

1月9日をもってコメント受付をすべて終了しました。貴重なご意見をお寄せ下さったことに心からお礼申し上げます。皆さまどうも有難うございました!なお下の(注)はシステム上の表示であり例外はございません。

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。