「大津通信」も役所内では一種の踏み絵ですよ・・・ 前回記事(越市長と踏み絵の話題)を読んだ人が私に言って寄こしました。あくまでその人の主観にもとづく報告ですが、そういえば前にも似た話を聞きました。このブログは「公はいかにあるべきか」という視点から越直美市長の市政運営を眺め、そこから振り返って「あるべき公」を模索する往復運動で書いています(それこそ主観的には)。
それに対するコメントも多数いただき、すべて残らず公開してきました。こうした結果、越市長にとって愉快ではない事実や意見も少なからず掲載されています。もしこのブログが庁内で踏み絵、すなわち権力への恭順度のモノサシになっているとしたら(光栄なことです)、越市長の意向を忖度するムードが組織の中にじわりと広がっているのかもしれません。
越市長ご自身は、民間人による個人的なブログなので論じるに値しないとの趣旨をかつて議会で述べられました。一方、市長の周辺(ごく一部の側近)からは、「市役所をやめた後で公然と大津市を批判するのはいかがなものか。しかも越市長への個人的感情に左右されているではないか」との声が聞こえてきます。つまり「恨み節」だというわけです。
私自身は、「それが市民の利益に合致するか」、「公務員として適切か」というきわめてシンプルな尺度で記事を書いているつもりですが、様々な受け止め方があることは甘受します。判断されるのはつまるところ市民です。こうなると、ここで一言コミュニティーセンター問題に触れないわけにはいきません。この問題はこれまで何度も書いて来たので今日は一点だけ。
大津市(すなわち越市長)は自治連の請願書の受け取りを拒否しました。その後、日を置いて受け取り、市長も謝罪されたと聞きますが、この顛末から私は政治家の失言問題を連想します。「失言」は、それを口にした政治家の姿勢、思想、信条、意見、センスの総体から生まれるのであり、本質的に取り消し不可能です。それをいとも簡単に取り消し、何事もなかったように次へ進もうとする政治家は失格!請願書の受け取り拒否もまったく同じであると思います。問題は、受け取り拒否という行為である以上に市民軽視の姿勢と思想です。根本的なところを正さない限り、条例案も言葉遊びになりかねません。しかし、根本的なところの矯正は、果たして可能なのでしょうか。
またまた横道にそれてしまいました。次回は本筋にもどります。
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